猫檀家

語り(歌い)手・伝承者:鳥取県三朝町 山口 忠光さん(明治40年生)

 昔あるお寺で猫を飼っていた。和尚さんが寝るときにはいつもちゃんと足拭きを枕元に置いて寝ても、明くる朝間、和尚さんが起きてみると、その足拭きがたいそうびしょぬれになっている。それが毎日続くので、和尚さんが、
ー不思議だなぁーと思って、ある晩、寝ずにいたら、お寺で飼っている猫がやって来て、和尚さんのその足拭きをくわえて出てしまった。
ーはあて、どこへ行くかなあーと思って、和尚さんが猫の後をつけて行ったら、村はずれのお堂まで行った。
  そこにはたくさんの化け猫たちが集まって、一生懸命でみんな踊っている。よく見たら、お寺で飼っている猫もその中に混じっている。そして汗が出るほど踊ると、猫は和尚さんの足拭きで汗を拭いていた。
ーはーあ、そういうことかなー。和尚さんはそれを見届けてもどって、明くる朝、
「猫や、ちょっと来い来い。おまえはなあ、長い間、このお寺で飼ぁてやったけど、今日限りこの寺から暇をやるから出て行きなさい。夕べおまえが仲間と一緒に踊りよったのを見たから、隠しゃあせんけえ言って聞かせるが。その代わりおまえがどこへ行っても、猫の仲間でバカにしられんように、ありがたぁいケツミャクぅやるから、これもって行け」と言われた。
  猫は悲しそうに、その和尚さんからいただいたケツミャクを持って出て行った。
  それから、どれくらいか経ったときに、よい若い男がお寺へやって来た。
「和尚さんはおられますかな」
「はいはい」と小僧さんが出て言う。
「和尚さん、お客さんがありますが」
「うん、ここに通せ」。
  それから、そのお客さんが、
「和尚さん、しばらくです。わたしはこのお寺に長いこと置いてもらっていた猫です。ありがたいケツミャクをもらったので、どこの仲間へ行ってもバカにされず、頭で通りおります。そこでお礼に和尚さんに大出世をしてもらいたいと思ってやって来ました。今から何日ぐらい先に不幸があって葬式があります。その葬式にゃ亡者はカシャの餌食になっとるけえ、それでどうしても大騒ぎになります。そのときにゃ、どの和尚が来てもかないません。そのとき『あんたのとこの和尚でなけにゃいけんぞ』ってことになります。そのときにゃ来てごしない。それで『ああ、やっぱし、あの和尚はえらい』ちゅうことになって、出世してもらいますけえ。こりゃ嘘ではない、本当のことですけえ、待っとってください」と言って帰って行った。
  それから、何日か経って、
ーあのときのこと、客が何こそ言うだらーと和尚さんが思っていたら、使いが本当にやって来て、
「どこそこの和尚さんですか。実はこういうわけで新亡があったけど、どこの和尚さんが来ても始末がつかん。それであんたでなけにゃいけんちゅうことになった。それであんたに来てもらわにゃいけんだ」と言う。
「そうか、なら、行こう」
  そうして、その和尚さんが行って、家の座敷に上がってお経を読んで、棺を出しかけたら、一天にわかにかき曇り、外がたいそうな大雨風になってきた。そうしているうちに囲炉裏の方にいた者が、
「そりゃ、えらいこった、えらいこった。鍋下ろせ、鍋下ろせ。ほりゃカシャという化けが下りたぞ」と言った。化物が自在鈎を伝わって下りて来るのだそうな。そして、下りてきた化物が棺桶の近くへ寄って来て、
「どこそこの和尚さえおらにゃええと思っとったら、その和尚が来たけえ、持って帰るわけにはいかん」と言った。その和尚さんは棺桶の上にあぐらをかいて、
「取れるもんなら取ってみい」と言って、ホッスを持って払ったら、化物は、
「とてもかなわんぞ。逃げろ、逃げろ」と逃げてしまった。
  それでその和尚さんはそれが評判になって、それから大出世をしたという話だ。
  昔こっぽり。

解説

 この「猫檀家」の話は、かなり珍しいもののようでなかなか覚えておられる方が見つからない。 今回取り上げた「猫檀家」について補足すると、関敬吾博士の『日本昔話大成』(全12巻・角川書店)によれば、本格昔話の「動物報恩」の中にある「猫檀家」として登録されている。
  なお、山口さんの話で猫に与えたケツミャクとは「けちみゃく(血脈)」の訛ったものと思われる。『広辞苑』によれば、「②《仏》教理が師から弟子へと代々伝えられていく系譜。法統。また、その系譜を記した系図書。③略。④芸道で、師から弟子へと伝えること。」と出てるのがそれだと思われる。