金屋子さんと鍛冶屋さん
語り(歌い)手・伝承者:島根県美郷町 高橋 ハルヨさん(明治40年生)
昔、鍛冶屋(かじや)さんがあった。旅人がその鍛冶屋へ行って、
「泊めちゃんさらんか」言ったら、
「これには親父が死んで、まことに騒動しとるとこだけえ、泊めてあげたいが、それはできません」と言う。
「そいじゃあ、も一軒先へ行ってみようかい」と旅人が一軒先へ行って宿を頼んだら、
「これにゃ子が産まれたけえ、人を泊める場じゃあありませんけえ、よそへお願いします」。
こう隣の家でも断わられた。
「はあ、そうかな。そいじゃあしかたがないけえ、鍛冶屋にゃ親父が死んじゃあおるが、泊めちゃろう言うてもろうたけえ、そこで泊まらしてもらおう」言うて、旅人がそこへもどって泊めてもらったという。
実はその旅人は鉄の神さんである金屋子(かなやご)さんだった。そのようなわけで金屋子さんというものは、昔から産まれ日は嫌いだが、死に日が好きだというんだげな。
解説
語り手は高橋ハルヨさん。昭和49年7月に都賀本郷のご自宅でうかがった。「金屋子さん」は「たたら」の神さんのこと。「たたら」といっても若い方にはお分かりいただけないと思うが、原料の砂鉄を窯に入れて木炭で熱して精錬するが、そのおり風を送るフイゴを称する。そしてこの精錬を司る神を「金屋子さん」というのである。
ところで、なぜかこの神は死の忌みは嫌わないが、血の忌みは徹底的に嫌われるという言い伝えがある。手元にある島根県教育委員会発行の昭和42年度の民俗資料緊急調査報告書の『菅谷鑪』によれば「萬一家にいた時出産に遭ったら男子出生の場合は三日間、女子の場合は七日間たたら場へ出ることはできなかった。だから出産が近づいたとみると、たたら職人はたたら場に寝泊まりした。家人もまた産後男子は三十一日、女子の場合は三十三日の初参りがすむまでは、たたら場へ近づくことは禁ぜられた。」(六十五-六十六ペ-ジ・牛尾三千夫氏執筆部分)とある。この話はこのような信仰が基盤となって成立しているのである。
なお、録音状態がやや悪く、また最後のところが切れているが、貴重な内容なのであえて紹介することにしたものである。