ええこと聞いた(からかい歌)

語り(歌い)手・伝承者:松江市西川津町・佐々木綱さん・明治29年生

ええこと聞いた 疾(と)う聞いた
洞光寺(とうこうじ)山へ聞っこえて 松が三本転んで
洞光寺でらの小僧が なんぼ出て すけかぁても かぁても 転んだ

(昭和36年1月収録)

解説

 友だちの秘密を知った仲間が、その子をひやかしてうたっていたという。各地に類似の歌があるが、この松江市の歌はかなり豊かな内容である点に特徴がある。この中に庶民の素朴で古い民間信仰が隠されていることにも気をつけていただきたい。以下、それについて眺めてみよう。
 まず、言霊(ことだま)信仰である。ことばには神が潜んでおられるから、良いことばを使えば良い結果が現れるが、よくないことばは、逆に悪い結果をもたらす。これが言霊信仰の基本である。「ええこと」は決して良いことではない。当人にとっては人に知られたくない秘密で、それを知られたことは悪い言霊を発したことになる。
 次に山の信仰である。山は多くの人間の住む平地とは違い神聖なところであり、神がお住まいになる場所である。この歌では洞光寺山なるそこへ「ええこと」なるものの内容が聞こえた結果、その言霊の影響が出てくる。それは「松が三本倒れ」ることにつながる。これには宿り木信仰と聖数信仰が背景にある。
 松は神の宿る神聖な木とする信仰である。昔の人たちは、多くの樹木がすっかり落葉する冬にあっても、青々と葉をつけている松に神秘を感じた。つまりこれには神が宿られるから葉が落ちないと考えた。正月に門松として家の前に松の飾られる理由がここにある。また「三」も神聖な数である。神にお供えするものを乗せる器を三宝といったり、人が社会人として認められる「七五三」なる帯直しの行事が、この地方では三歳に基本をおいて行われているが、そのようなところにも三の数の神聖さは証明される。そうして考えると「松が三本倒れた」の意味の重大さが理解されるのではなかろうか。
 つまり、本人にとって知られたくない、絶対に秘密にしたいことが、こともあろうに神のいらっしゃる神聖な山に聞こえ、次々と悪い結果をもたらすことになる。それは神の宿り木の松が、尊い数の三本も倒れ、小僧さんが直そうとしてもできなかったのだから、本人の面目は丸つぶれということになる。
 子供の歌に秘められたこの奥の深さは、なかなかすごいものがある。この歌は当然のことながら、このような信仰が常識だった時代に生まれたと思われるのであるから、古い時代に作られたということが推定される。