うしろのどーん(手まり歌)

語り(歌い)手・伝承者:江津市桜江町川戸・米原シゲノさん・大正2年生

うしろのどーん まえそのどーん おおさか おさかでどん
やすやでどーん
末まかせのお歯黒は いくらです 五百です
もすこしまからんか すからか ほーい
おまえのことなら 負けとくに
ひー ふー みー よー いつ むう なな やー ここのつ とお
山王のお猿さんは 赤いおべべが大(だい)お好き
ててさん ててさん よんべの恵比寿講(えべすこう)に よばれて行って
鯛の浜焼き竹麦魚(ほうぼう)の煮付け 一杯すいましょう 二杯すいましょう
三杯目にゃ肴がないとて お腹立て お腹立て
はてな はてな はて はて はてな

(昭和46年8月収録)

解説

 「お歯黒」の出ている内容から見てかなり古めかしい歌であると想像できる。
 明治27年発行の岡本昆石編『あづま流行時代子どもうた』には、この歌の後半部分が独立して手まり歌として出ているので、現在のかなづかいに直して紹介しておく。

  山王のお猿様は 赤いおべべが大おお好き
  ててしゃん ててしゃん 昨夜恵比寿講によばれて
  鯛の小女郎(小皿?)の 吸物 一杯おすすら 吸うすうら
  二杯おすすら吸うら 三杯目には 名主の権兵衛さんが肴がないとてごう腹立ぁち
  はてな はてな はて はて はてな まずまず一貫 おん貸し申した
  千そっせ 万そっせ おたたぁのたたのた

 一見して同類であることが分かる。ここにうたわれている山王とは、神田祭りと共に江戸の二大祭りとして有名な江戸麹町日吉山王神社のことではないかといわれている。そして猿は山王権現の使いとして神聖視されているのである。
 この同類は東京だけではなく、山形・神奈川・静岡・長野・新潟・富山・京都・大阪・宮崎などでもこれまでに収録されている。そのような伝承の過程の中で、ここ島根県の石見地方にも、いつしか根づいていたのであろう。中央で流行していた手まり歌が、どのような経路をたどって島根県の山間部で定着したのか、今となっては知る由もない。ラジオやテレビなどのなかった昔であったろうが、子どもたちの世界では、それなりに流行に敏感で、ちゃんと中央の歌を仕入れ、こうして手まり歌にしていたのである。
 なお、前半部分もわたしは独立した形で、いくつか収録していることを記しておく