あの山で光るものは(手まり歌)
語り(歌い)手・伝承者:隠岐郡隠岐の島町犬来・中沼アサノさん・明治39年生
あの山で光るものは 月か 星か 蛍か
月ならば 拝みましょうか 蛍ならば 手に取る 手に取る
まずまず一貫 貸しました
(昭和56年6月収録)
解説
これは手まり歌である。どこか品のあるメロデイーを持つこの歌が、どうして離島に残されていたのかと、わたしは不思議に思いながら聞いていた。けれども、今日ではもう隠岐島でも聞くことはできないようであるし、山陰両県でも聞いたことはなかった。
けれども、わたしはどこかに同類がないかと柳原書店『日本のわらべ歌全集』を見ると、東は群馬、東京、埼玉に仲間があり、西では福岡、熊本に類歌のあることが出ていた。
この中で福岡県柳川市のものだけは、子守歌の「寝させ歌」とある点が変わっていた。他はいずれも島根県と同じ手まり歌である。福岡県柳川市の詞章は次のようであった。
あの山に光るは 月か 星か 蛍か
蛍ならお手にとろ お月様なら拝みあぎゅう
おろろん おろろんばい おろろん おろろんばい(『福岡のわらべ歌』)
九州方言でうたわれているが、なるほど、「おろろん、おろろんばい」の後半部分を見れば、確かにこれは子守歌である。そして前半の詞章も、後半部との連携を踏まえて考察すれば、子守歌に適していることも理解できる。もっと多くの地方で子守歌としていてもよいように考えられるのではあるが、実際はなぜか手まり歌がほとんどなのである。
念のために東の代表として埼玉県東松山市のものを紹介してみる。
あの山で 光るものは 月か 星か ほたるか
月ならば 拝みましょうか
ほたるならば お手にとる お手に取る(『埼玉 神奈川のわらべ歌』)
この埼玉県の解説を担当した小野寺節子氏は、同書に次のように書いておられる。
―夏の夜、その闇の中で美しく輝くものへの感嘆をうたっている。その不思議な美しさは、信仰心にまで浄化され、旋律とともに他の手まり歌にはない味わいがある。―
わたしも小野寺氏のご意見に全く賛成である。
ふとしたことから教えてもらった隠岐の手まり歌が、あまり聞くことのできない貴重な歌であることを知って、わたしは伝承の糸の謎をいよいよ痛感したのである。
なお、伝承者の中沼さんは、島根県の幼稚園教諭の草分けとして、松江市の雑賀幼稚園などを舞台として、長い間、活躍された方である。