ねんねんよ ころりんよ(子守歌)

語り(歌い)手・伝承者:鹿足郡吉賀町柿木村柿木・小田サメさん・明治31年生

ねんねんよ ころりんよ
ねんねがお守りは どこ行(え)た 野越え 山越え 里行(え)た
里のみやげに なにもろた でんでん太鼓に笙(しょう)の笛
でんでん太鼓をたたいたら どんなに泣く子もみなだまる
笙(しよう)の笛をば吹いたなら どんなに泣く子も みなだまる
ねんねんよ ころりんよ
おととのお山のお兎は なしてお耳がお長いの
おかかのおなかにいたときに 椎(しい)の実 榧(かや)の実 食べたさに
それでお耳がお長いぞ
ねんねんよ ころりんよ

(昭和37年7月収録)

解説

 とてものどかな節回しである。そしてその歌い出しは「ねんねんころりよ、おころりよ」でよく知られ、日本古謡としての子守歌の骨格が前半部に見られるが、後半部の「おととのお山のお兎は」からは、実はまた別な童話風物語が付属したスタイルになっている。
  伝承わらべ歌の特徴として、詞章の離合集散はよく見られる現象である。ある地方で二つ以上になる歌が、ほかのところでは一つに統合されている例はいくらでもある。この歌がまさにそれであった。
  たとえば明治20年代、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が隠岐島へ旅行したおり、現在の隠岐郡海士町菱浦で「隠岐の母親たちが、赤ん坊を寝かしつけながら、この世でいちばん古い子もり歌をうたっている声を聞くことができた。」と次のように紹介している。

ねんねこ お山の
うさぎの子
なぜまた お耳が長いやら
おっかさんのおなかに おるときに
びわの葉 ささの葉 たべたそな
それで お耳が 長いそな
(「伯耆から隠岐へ」平井呈一訳『全訳小泉八雲全集』・第6巻・恒文社)

 一方、鳥取県でも知られていた模様で、米子地方のものとして、松本穰葉子著『ふるさとの民謡』(昭和43年・鳥取郷土文化研究会)に、以下の歌が出ている。

ねんねこやまの
兎の耳はなぜ長い
わしの おかさんが
つわりの時に
びわの葉なんぞを
食べたので長い

 幼子を相手に大人たちは、兎の耳の長い理由を童話風なわらべ歌の詞章に託して、うたっていたのであった。現在の母親たちには、もうこのような子守歌は伝えられれてはいないのではなかろうか。