こいし こうらい(動物の歌)

語り(歌い)手・伝承者:松江市雑賀町・園山 正さん・当時45歳

こいし こうらい こなオンジョ来い
アブラやミタオンジョ 負けて逃げるオンジョ
恥じゃないかや

(昭和36年8月収録)

解説

 うたってくださった方は、わたしの小中学校時代の恩師である。わたしが教師になって言語伝承を集めていることを知って、「自分が子ども時代にうたっていた」と教えてくださったのが、これであった。園山先生が物故されてすでに久しいが、わたしの録音テープの中には、今でも先生のこの元気のよいお声が残されている。
 さて、オンジョであるが、これは普通のトンボより大きく、いわゆる「ヤンマ」といわれている種類を指す出雲方言である。そしてアブラは、ヤンマの雄の中でも羽が油色のものをいい、ミタは雌のヤンマをいっている。
 わたしの世代では、小学校時代、この類の歌で竹などの先に糸を垂らし、それにおとりのオンジョを結びつけて、ゆっくりと振り回し、畑の間を走り回りながら、このオンジョを釣っていた。石村春荘著『山陰路のわらべ歌』(昭和42年・自刊)には、氏の父親である徳次郎氏から収集された、明治20年ごろの歌として、次のように紹介されていた。

こういしくらい こなおんじょくらい
あぶらや めとうに まけてにげるおんじょ
はじじゃ ないかや

 ところで、この歌について、わたしには忘れられない思い出がある。
 昭和41年8月22日のこと。わたしは東京の民放NET局(現在のTBS)の全国ネットである「木島則夫モーニングショー」に、島根県鹿足郡柿木小学校の三名の女子児童と生出演してわらべ歌を放送したことがあった。この曲を彼女たちがうたい終わったとたん、プロデユーサーが「懐かしい」と飛び込んできた。二十二歳の蒲生直人さんというその方は、松江市南田町に住んでいたことがあり、この歌をうたっていたのだという。ただ、蒲生さんの教えてくださった詞章は、次のようになっていた。

おおいしやー このオンジョ来い
アブラやミトオンジョ 駆けて逃げるオンジョ
火事じゃないかよ

 わらべ歌詞章の変化の法則を暗示させるような出来事と共に、知らぬ者同士を瞬時に親しく結びつけるわらべ歌のすばらしさを、このときわたしは知ったのであった。