親ごに離れてはや七日(手まり歌)

語り(歌い)手・伝承者:安来市広瀬町西比田 永井トヨノさん・明治23年生

親ごに離れてはや七日(なぬか)
七日と思えば四十九日
四十九日参りをしょうと思て
おばさんのところへ 着るもの一反借りね来た
あるものないとて貸しぇだった
やれやれお腹が立ちなんど
奥の納戸に機(はた)たてて
今日も一反織りおろし
明日(あした)も一反織りおろし
下(しも)の紺屋(こうや)へ一反と
上(かみ)の紺屋へ一反と
染めください紺屋さん
染めてあげましょ何色に
肩にはシャッポ 裾(すそ)には柳の葉をつけて 葉をつけて

(平成12年2月収録)

解説

 この歌をうたわれた永井さんは結婚後、奥出雲町大呂にお住まいだったが、生地は安来市広瀬町西比田であるところから、そこで覚えられた歌なので、そうしておいた。
  手まり歌には、内容にどきっとするものがときどきあるが、これもその一つであろう。
この歌の主人公は女性と思われる。物語の展開が、機織りや染め物にかかわりのある語句でなされているから、そのように考えるのが自然である。そして、内容は出だしからして親子離散の憂き目にあっていることが推定できる。「七日」は「初七日」のことかもしれず、また「四十九日参り」というのも、逝去後の四十九日法要を指しているような感じがする。そうして見ると、はっきりとは述べられてはいないが、「親に離れて」とあるのは、親と死別したことを暗示させているのであろう。
 さて、この同類を捜してみると、仁多郡奥出雲町大呂から比較的近い飯石郡飯南町角井で聞いている。次に挙げておこう。

親に離れ子に離れ 殿御に離れて今日七日
七日と思えば四十九日 四十九日参りをしょうと思て
叔母のところに着り物借りにいったんだ あるものないとて貸せだった
やれやれ腹立つ残念な 後ろの小庭に機たてて
今日も一反織りおろし 明日も一反織りおろし 東の紺屋へ一反と
西の紺屋へ一反と 染めてください紺屋さん 染めてあげます何色に
紺と紅との花色に 花色に(後長スエノさん・明治41年生。同町民谷出身)

 細かい点で両者は多少の違いは見られるものの、大筋では同じである。それにしても手まり歌には、なぜか生活の厳しい状況を取り上げてたものがよくある。どうしてこうした内容をうたっているものが多いのか、まだ、わたしにはその理由が分からないのである。