大まん口から(手まり歌)
語り(歌い)手・伝承者:松江市竹矢町 角田タケさん・明治24年生
大まん口(ぐち)から揚屋の前まで 三好高さん 不昧(ふまい)の近じょ
みなみな同士ゃ 見事なことよ 行き先々 花芽が咲いて
豊(とよ)さん 文(ふみ)さん なんだが縞の 坂尾(さかお)がしんびょで
紅(くれない)さんしがうれしき早織り 確かな近所 おめぐりさまよと
からぐりさまよ 向こうの衆に渡いた
(昭和45年7月収録)
解説
もともとは江戸時代に各地でうたわれていた古い手まり歌であるが、鳥取県西部地方と島根県出雲地方の古老から、ときおり聞き出すことのできた歌である。
さて、江戸時代の同類を調べてみると、文化7年(1810年)刊の式亭三馬著『浮世風呂』二篇巻之上(女湯の巻)に出ていた。
大門口 あげ屋町 三浦高浦米屋の君
みなみな道中みごとなこと ふりさけ見よなら 花紫 相がわ 清がわ
あいあい染がわ 錦合わせてたつたの川 あのせ このせ やっこのせ
向こう見いさい 新川見いさい 帆かけ舟が二艘つづく
あの舟におん女郎乗せて こん女郎乗せて あとから家形が押しかける
やれ止めろ 船頭止めろ 止めたわいらにかまうと 日が暮れる お月は出やる
それで殿御のおん心 それ百よ それ二い百よ それ三百よ(中略)
とどめて一貫貸した せんそうせん
少し下って天保初年(1830年)ごろ書かれた高橋仙果著『熱田手鞠歌』にも同類は出ているが、ここでは省略する。石村春荘氏は、その著『出雲のわらべ歌』(昭和38年・自刊)で、「(江戸)吉原のおいらん道中の華やかさをたたえたもの」と述べておられる。案外そうであったかも知れない。当時の女の子のあこがれをうたっていたのであろうか。
わたしが松江市の角田さんや日吉津村の大道さんからうかがったのは、昭和59年のことであった。当時、大道さんは80歳、角田さんも90歳を越えておられた。この歌もお二人よりも若い年代では、もう知っておられる方はないと言っても間違いはなさそうである。