金の犬こ

語り(歌い)手・伝承者:島根県仁多郡奥出雲町下阿井 井上 掏佶さん・明治十八年(一八八五)生

 とんと昔があったげな。
 村一番の長者さんがあり、そこにはまた村一番の美人のお嬢さんがいましたが、何回よそへ嫁がれても必ず帰られます。そこで、長者が占い師を迎えて見てもらわれたところ、
「占った結果、ここのお嬢さんはごく苦労していて、一文もないところへ嫁に行かれれば縁があります」。そう占い師が言いましたので、長者は怒ってしまい、お嬢さんを家から追い出してしまいます。お嬢さんもその言葉を聞いていたから、
「さて、そうすれば一番難儀しているというところは、どこかなあ。そうだ、隣村に吾一という、ほんとに何も持たないで難儀しておる者が住んでいるが…」
 お嬢さんはその家へ、とびこみました。
「吾一さん。おまえは、わたしを嫁にもらってくださらねばいけませんよ」
「おそれいります。大家のお嬢さんなど、わたしの家のような何もないところへおいでていただくことは、とてもできません。だから、断わります」。
「今夜一晩ほどでもよいから、どうか嫁にしてくれ」。
 吾一はとうとうそれに従いまして、一晩嫁にします。二晩嫁にします。お嬢さんは一生懸命朝から晩まで働かれます。
 そのうち年の暮れになりましたので、吾一は長者の家へ歳暮に行こうと思いました。吾一の家の後ろの高いところに、榎の枝のついたのがありまして、それの枝をおろして杵をこしらえます。その杵は餅搗き杵であります。そうして、吾一はできあがりましたものをかついで、大きい川を渡って長者の家へ行きまして、歳暮の言葉を述べました。長者は、
「こんな卑しい者はここへくるものではない。何もいらないから、おまえはすぐ帰りなさい」と言います。奥を見ますとたくさんのお客さんがもてなしを受けておられますが、そういう言葉でしたから、吾一はその杵をかついで帰ります。
 吾一は大きい川のほとりまでやって来ました。そして橋の上を渡るときに、橋の上から杵を投げて、こう言いました。
「これは竜宮界の竜宮さんに歳暮にさしあげます」。
 そうしてうちへ帰り、お嬢さんに一部始終を話します。
「まあ、それだからあなた行きなさんなと言って止めたのに、気の毒でした」
 そのようにしているうちに正月が来ます。そうして、正月の松飾りも吾一さんは熱心につけたりしましたが、正月の三日の朝、突然、飛脚が走ってきます。その飛脚は、
「吾一さん、吾一さん、こちらかね。
 吾一さん、吾一さん、こちらかね」と言う。
「はてな、わたしを呼ぶが、どこの人か。まあ、入ってもらおうか」。そうして、その人に入ってもらいますと、そのかけ声で入ってきた人が言うことには、
「『わしは竜宮界から来たものである。去年の歳暮を、何とも言えぬ宝物をもらってありがたい。必ずあの人を迎えて連れて帰ってくだされ』という命令がありました。今から竜宮界へ行きましょう」と言う。吾一は驚いて、
「竜宮界というと海の中でして、わたしが海の中へ入りますと、すぐ死んでしまいますが…」と断わります。お嬢さんも、
「海の中へ入ったら死ぬのも当然だ。行きなさんな」。使いは許しません。それでとうとう使いについて吾一は行きます。
-お嬢さんは後で泣き暮らしですが-
いよいよ吾一と使いの者が海ぎわへ行きますと、その使いの人は先にたって道を開けます。二人が水の中へ入りますと、水は両方へ分かれて完全な道になります。しばらく行く間にとうとう竜宮の宮まで行きました。吾一は竜宮界の王さんに初めてお目にかかります。王さんも歳暮の礼を丁重に吾一に言って、
「おまえは、何日でもここへ泊まってくれ。おまえが好きなものを食べてかまいません」
 そうして、吾一はここでしばらくいろいろよばれていましたが、しかし、一生を暮らすことは、お嬢さんに対してすまない気持ちがします。吾一は十日ほど泊まって言いました。
「わたしはこれから帰らせてもらいます」。王さんは、
「ああ、それならば帰ったらいいが、おまえ、何か望みがあったら、望みのものを申し入れなさい。何なりとあげるよ」
  吾一は考えまして、
「金の犬こをくださいませんか」
「ああ、こちらにはあれ一つを出すと、後に一つしか残らないけれども、おまえに宝物をもらったから、今度はこちらからお礼におまえに宝物をやろう。この金の犬こには丁銀を必ず朝一枚ずつ、食べさせることに気をつけねばならない。そうしたならば、必ず大判一枚は排せつするから。しかし、与える数をまちがえてはならないから。もし、一つでもよけい飲ませたら、すぐ死ぬから」という注意を吾一は王さまから受けます。
 そうして、吾一さんは、金の犬こを喜んで抱えて帰ります。そしてお嬢さんに、
「やっと、帰りました」
 お嬢さんは驚いて、とても海の中へ入ったら、帰ってはもらえないと思っていたので、泣き暮らしでいたところへ吾一さんが帰ります。その上、金の犬こを抱えておりますから、
「あなた、それはどのような方法で手に入れたのですか……」
「王さまに何なりと望めよとおっしゃるから、金の犬こを頼みましたら、王さまの言葉に『必ず丁銀を一枚ずつ食べさせよ。そうしたら、この犬こは大判を一枚を排せつするから、それでおまえの家は豊かになるだろう。しかし、与える数をまちがえて一枚でもよけい食べさせたら、すぐ死んでしまうから、よくそれに気をつけなさい』と言われましたよ」
 そのうち、一年二年たつ間に、吾一の家では毎日大判ができますから、長者の家よりも金持ちになりました。長者の家では、どうして吾一の家が長者になったのだろうかと思って、吾一の家へ訪ねて来られます。そこで吾一は一部始終を話しました。そうすると長者は、
「それなれば、わたしに三日ほど貸せてくれないか」と言う。吾一は、
「用たしいたしますが、必ず、丁銀一枚だけを犬に食べさせてください。そうすれば、大判を一枚排せつしますが、それ以上、一枚でも多く食べさせられたらすぐ死にますから、そうしないでください。そのことは十分に注意を願います」。
そうして、長者は喜んで犬を借りて帰ります。さて、食べさせてみると、実際、一枚食べさせれば、犬は大判を一枚排せつします。
 さて、二日たち、三日目には帰らせなければなりません。長者は欲を考えて、なんでも今日は二枚食べさせれば、二枚排せつするだろうと思って、二枚食べさせられたら、すぐ犬は死にました。しかたなく長者はその犬を家の後ろ山へ埋めてしまいます。
 十日たっても、犬は吾一の家へは帰りませんから、吾一は迎えに行きます。そうしたら、長者が全部白状して、こうこうであったと言います。
「それなら、犬はどこにおりますか。その犬をそれならわたしにください」と吾一は言い、そうして、死んだ犬を抱えて
もどり、吾一は家の後ろの榎の下へ犬の死骸を埋めました。
 そうして、あくる日、見ますと、榎に金銀ちょうじ、大判小判、あらん限りの宝物が鈴なりになりまして、吾一はまた、たいへんな長者になります。そうして吾一は、また、木の枝を一つおろして、臼と杵をこしらえ、それに米一合ほど入れ、「千石、万石、数知らず」と言って米を搗きますと、一合入れたものが臼いっぱいになりました。そうして何回もやりますから、また、長者の家よりは多く米を持つようになりました。長者は驚いて吾一の家へ行って、話を聞かれました。
「それならば、その臼と杵を貸せてくれ」。
「それならば、三日ほど用だてます。四日ぶりには、すぐもどしてもらわねばなりません」。
 それで、長者はその臼と杵を借りて帰り、米を一合入れて、
「千石、万石、数知れず」と言って搗きますと、一合の米がみんな粉なってに散ってしまい、米というものはなくなってしまいました。さらに長者は続けます。一日たっても二日たっても同じですので、つい腹をたてて、臼を割って焼いてしまい、その灰は、みな、山の上へ持って行っておきました。
 十日たっても臼がもどりませんから、吾一はまた迎えに行きます。ところが、長者は全部白状して、しまいには、
「あれは焼いてしまった。それで灰になって上の山にあるから」と答えます。しかたなく吾一は灰をもらって帰りました。
 ある日、吾一は殿さまのお留め山へ入りまして木を切ります。そこへ殿さまがお通りになって、大きい声をされました。
「おおい。そこで木を切るのは何者だ」
「日本一の花咲かじいでございます」
「これはおもしろい。それならば一つ咲かせてみなさい」。
 そこで、吾一が灰を一面に放りますと、どの木にもいろいろな色違いの花が咲きました。そして全山花になりました。
「ああ、これはめでたい、めでたい」と殿さまは言って、たいへんなほうびを吾一に与えられます。また、吾一の家は長者以上の大きな長者になります。長者は、また、不思議に思って、どうしてあれが長者になったかと思われて、吾一の家へ行きます。そうして、吾一さんは一部始終を話します。
 そうしたら、長者は、また帰って、灰の残りがあったから、また、殿さまの山へ入りこんで、そうして、木を切られますと、また、ちょうど殿さんが通られました。そしてまた、最初のように殿さまが大きい声で言われました。
「そこで木を切るのは何者だぁ」
「日本一の花咲かじいであります」
「あ、それはおもしろい。それならば一つ花を咲かせよ」。 長者は灰をふりましたら、花は一つも咲きません。かえって、殿さまの目にまで灰が入りまして、殿さまはたいへん立腹され、侍を走らせて、すぐその長者を殺してしまわれます。
 ところで、世の中というものは、こういうものであって、天から授かった宝でないと、ほんとうの自分のものにはならない。欲ばりでは自分のものにならないからな。こっぽし。

解説

 語り手は井上掏佶さん(明治19年生)うかがったのは昭和46年(1971)5月30日のことだった。
  これは「竜宮童子」といわれている昔話の一つで、関敬吾著『日本昔話大成・第5巻』(昭和53年 角川書店)で見ると、同じような話は全国で97話ほど認められる。

 吾一の行った竜宮(リユウゴン)は何を意味しているかといえば、理想の国である神の国(祖霊界(それいかい))そのものである。日本の理想の国は、このように海の向こうにあると考えられており、そこへは川を伝って行くことができると考えられている。奥出雲町大呂、安部イトさん(明治27年生)の話では、家人の食物が残ったり、少しくさりかけたものや、あるいは母乳があまったら、けっしてそのまま他へ捨てたりしてはならず、「竜宮さん、竜宮さん、川へおさめますわ」とか、「竜宮さん、竜宮さんに贈れ」などのとなえごとをして川へ流すものとされていた、ということだった。また、金の犬こは吾一に豊かな財産を与えてくれる呪宝である。しかし、神の気持ちにそわない長者には、けっして幸せを与えようとはしない。
  犬をうめた榎の木の枝から作った臼と杵で、餅をつくとき、「千石、万石数知れず」となるが、このことばに非常によく似たとなえが、正月の年中行事の中に見られる。奥出雲町美女原の「田打ち正月」のとなえは、次のとおりである。

 国土(くにつち)の広き荒れ野を 田となして 鍬(くわ)のみ矛(ほこ)や露(つゆ)の玉米(たまよね)
  一鍬(ひとくわ)に千石 二(ふた)鍬に万(まん)石 千石 万石 数(かず)知れず(内田忠助さん・大正6年生)

 この風習は県下各地にあるが、「金の犬こ」の昔話も、このようなとなえを頭において作られていることはまちがいない。
  次に吾一の家の後ろにある榎の枝から作った杵を竜宮に送ると、それをきっかけにして吾一には次々とよいことが起きる。また、後半部でも金の犬こをその木の根もとに埋めておくと、あくる日には金銀などがなり、彼はそれで臼と杵とを作り、米を一合入れて餅をつくと臼いっぱいにできあがる。このようなところから榎の木は、まことにめでたい木であることが分かる。昔からこの木は縁起のよい植物であると考えられてきたようで、それを示すものとして、次のような民謡のことばもあちこちで見られている。たとえば「餅つき歌」として浜田市三隅町井野大谷では、

 これのお背戸にゃ 二股榎
  榎(え)の実ならいで チョイト 金(かね)がなる(竹内藤太さん・明治8年生)

 つねに吾一のマネばかりをしている長者は殺されるが、ここから祖先の人々が自分の考えをだいじにし、マネをきらう心が強かったことを知ることができる。これは「ネズミ浄土」「サル地蔵」「花咲かじい」など、の昔話に共通している。そしてこの「金の犬こ」は、前の半分が「浦島太郎」、後の半分では「花咲かじい」の話がいっしょになったような感じになっている。
  それにしてもこの阿井の里に、わが国の風習やとなえ言葉、民謡などをふまえた、とてもスケ-ルの大きい、このような話がよくまあ残されていたものだと、しみじみと考えさせられる。