子守歌内通
語り(歌い)手・伝承者:島根県浜田市三隅町 竹内藤太さん・明治9年生
子どもを育てるおりに、りっぱな子守が育てれば子どもがりっぱになるというので、りっぱなような子を捜して子守に雇うたんです。学問のある子どもをなあ。
ところで、ちょうどその家の親父と隣の親父が泥棒をやっていたそうで、それでよそから金(かね)を持った者が泊まろうとすれば、わが家を宿に貸して、その人を殺して金を盗っていたそうです。
一方、守をする女の子は、それが気の毒でならないと思っておりました。
さて、それから、こんど、だいぶ金持ちの坊さんが宿を借りて泊まっていたそうです。
ここにおれば殺されるんですからねえ。
子守の女の子は、
-今夜は助けてあぎょう-と、こういう考えで、坊さんが眠らないうちに、子守は子の尻をつねって泣かしたんだそうです。
そうすれば、子が泣くのをあやさないといけません。子守はそのときに子守歌にうたったんです。
りんかあじんと かあじんと
ににんがもうそう ごんすれば
たそうをせっすと ごんすぞ
やまにやまぁ かさねて
くさにくさぁ かさねて
デ-ン デ-ン デ-ン
このようにうたったんです。
ところが、それが坊さんのことで、りっぱな学者ですから、その歌を聞くと、すぐにその意味を悟られて、急いでその家を出てしまいなさったそうで、そのため坊さんは助かったそうです。
解説
語り手は竹内藤太さん(明治9年生)で三隅町東大谷の方。うかがったのは昭和35年6月だった。84歳のご高齢であった。
僧が泊まった宿屋は、まともなそれではなく、客が金持ちならば殺して金を奪っているのである。それでいながら、わが子にはりっぱな人間に育ってほしいという願いを持っている。そのようなところから子の守には学問のできる娘を雇っている。それは「自分さえよければよい」とする現今の社会風潮にもよく見られるところであろう。
さて、邪悪な宿屋ではあるが、雇われた子守は偉かった。悪にくみすることを潔(いさぎよ)しとせず、わざと子どもを泣かせて子守歌をうたい、その詞章で学のある僧侶に危険を悟らせようとするのである。この試みは見事に成功し、危ないところで僧侶は虎口を脱し、無事にそこを逃れることができた、という結果になる。
この話のおもしろさの一つは、機知に富んだ子守の歌と、それを察した僧の教養のすばらしさにあるといえよう。そしていま一つのおもしろさは、この歌の詞章の内容にある。つまり、漢語の持つ魅力とでもいうものだろうか。それについては次のようなのでご覧いただきたい。
りんかあじんと かあじんと………(隣家人と 家人と)
ににんがもうそう……………………(二人が申すを)
ごんすれば……………………………(言すれば)
たそうをせっすと ごんすぞ………(他僧を殺すと 言すぞ)
やまにやまぁ かさねて……………(山に山を 重ねて)
くさにくさぁ かさねて……………(草に草を 重ねて)〈草々に=つまり「早々に」の意味〉
デ-ン デ-ン デ-ン……………(出よ 出よ 出よ)
念のためにまとめると大意は以下のようになる。
隣の人とうちの主人の
二人が話すのを言いますならば
よそから見えたお坊さまを殺そうと言っています
(ですから、貴方は殺されないうちに)
急いでここを出発なさってください
このような次第で、僧は無事に逃げおおせたのである。
関敬吾博士の『日本昔話大成』に「本格昔話」「14 愚かな動物」の中に「子守唄内通」として紹介されているのである。