ネズミ浄土

語り(歌い)手・伝承者:島根県隠岐郡隠岐の島町 大滝忠敬さん・明治38年生

 とんと昔があったげな。あるところにな、じいさんとばあさんがおったげな。
「なんと、ばばよ。今夜は焼き餅焼かあや」
「ああ、ようござんしょう」
それからばあさん、焼き餅こしらえた。囲炉裏のオキの上で焼き餅を焼いて、じいさんもばあさんも腹いっぱい食ったげな。ところが、一つ残ったわい。
「ああ、一つ残ったわ。ばば、食えな」
「いやまあ、じいさん、食わっしゃいな」
「いやぁ、おれも腹いっぱい食ったわ。ばば、食え」
「いや、ま、じいさん、食わっしゃい」
 「じい食え」「ばあ食え」「じい食え」「ばあ食え」て、あっち転がし、こっち転がししよるとなぁ、囲炉裏の隅っこに穴があって、ころころっと転がりこんだ。
「やれ、しまった。焼き餅が穴から転がって通ったわい。せっかく焼いた焼き餅だ、行ったから拾ってくるか」って、じいさん、それからじいさん、尻からげて、囲炉裏の隅っこの穴からもぐって行ったが。奥へ行ってみれば、だんだんだんだん、だんだんだんだん、ずっーと穴がつながっとる。一生懸命で追いかけていった。行ったら、途中に地蔵さんが立っとる。
「なんと、地蔵さん。ここを焼き餅が通りゃせだったかの」
「うん、通った通った。さっき通ったわ」
「ああ、そうですか」
 で、じいさんは、そいから一生懸命で、額の汗をぬぐいながら追っかけて行ったんや。しばらく行ったらまた地蔵さんが立っとるわい。
「なんと、地蔵さん。ここを焼き餅が通りせだったかの」
「うん、通ったで。たったさっき通って行ったわ」
「ああ、そうですか」
また、どんがらどんがら追いかけていった。しばらく行ったら、また地蔵さんが立っているわい。
「なんと、地蔵さん。ここを焼き餅が通りせだったかの」
「うん、通った。あんまりうまさげなもんだけんなぁ、一口かじってやったわい」
「ああ、そうですか」
 じいさん、それからまた一生懸命で追っかけて行った。ずっーと行ったら、何やら音がする。
ーはてな、何かいなぁーと思って、耳を澄まして聞いてみたら、

 猫さや来ねば、国ゃわがもんだい。
 スットンカタン。 スットンカラン。

言って、ネズミが、米ついちょるわい。
ーははあ、ネズミのやつが米をついちょるぞ。何だら妙なことを言ったぞー

 猫さや来ねば国ゃわがもんだ スットンカッタン スットンカタン

ーああ、なるほど。よしよし、一つこのネズミを脅(おびや)かいてやらあかいー
 じいさん、物陰から、
「ニャーオー」と…、何とネズミがおびえまいことか。
「そら、猫が来た」っていうので、みんな一目散に逃げていった。後には米がどっさり残って、じいさんはその米を臼からすくい上げて、やっこらさぁやっこらさぁと戻ってきた。
さあ、これを聞いた、隣におった欲の深いじじとばばが、
「なんと、隣のじいとばあとがうまいことやって、米をもらって戻ったわい。われわれも一つやってみるか」
「うん、よからぁ」
「ばばよ、早ぁ焼き餅こしらえよ。一つ余るようにこしらえよ」
 それから、じいとばあとがのう、焼き餅こしらえて食って、
「ま、よからぁど。一つ余さぁど」。一つ余して、
「さあ、じいさん食わっしゃい」
「ばば食え」
「じいさん、食わっしゃい」
「いや、ばば食えの」。
「じいさん、食わっしゃい」
「ばあさん、食わっしゃい」
「じいさん、食わっしゃい」
「ばあさん、食わっしゃい」言っとって、囲炉裏の側の穴の中にポッと入れてやった。
ーそりゃ入った。入った。さあ行くぞー
 じいさん、尻つば(尻からげ)して、後から追っかけていったわい。
行きてみたらちゃんと地蔵さんが立っている。
「うん、これこれ、やっぱり隣のじいさんが言ったように、地蔵が立っておるわい。なあ、お地蔵さん、ここ、焼き餅が通りせだったかの」
「うん、通った通った」
また追っかけて行った。次の地蔵さんのとこへ行った。
「地蔵さん、地蔵さん、焼き餅が通りゃせだったかの」
「うん、通たぞ」
 それから、また行ったら三番目の地蔵さんが…、
「うん、やっぱりなぁ、地蔵さんが三つ立っちょるわい。なあ、地蔵さん、地蔵さん、焼き餅が通らせだったか」
「うん、通ったで。あんまりうまさげなもんだけんなぁ、一口かじってやったわい」
「ああ、そうですか」
 から行きたわい。
ーまだかいなあ。もうそろそろネズミの所へ行きてもよさげなにー
 だんだん行ってみたところが、やっちょるやっちょる。ネズミが、

 猫さや来ねば、国ゃわがもんだ。
 スットン カタン。スットン カラン。

って臼ついちょるわい。
ーこれこれ、隣のじいが言うとおりだわい。さて、一つ脅かすかなー
 じいさん、物陰から、
「ニャオー」って、猫の鳴き真似をしたところが、
「そりゃ、また夕べのじいが来た。今夜、敵討ちやるか」
「よかろう」と言うので、ネズミがバラバラバラッと飛び出してきて、そのじいの足に食いつくやら手に食いつくやら、身体中あっちやこっちやも噛みついた。
 じいはあっちもこっちも血だらけになって、米どころかほうほうの体で戻ってきたちょ。
 その昔のスットンカタン。

解説

 簡単に隠岐地方の特色を述べておくと、まず隠岐型として島前地区(海士町、西ノ島町、知夫村)、島後地区(隠岐の島町)に共通していることは、爺と婆が焼き飯(チャーハンではなく、隠岐独特の小醤油味噌を焼いて握り飯の上にまぶしたものを、現地では「焼き飯」と呼んでいる。)を二人で食べるが、一個余り、それをお互いに食べることを譲りあうモチーフが存在している点である。仮にこれらを「謙譲型ネズミ浄土」と呼んでおきたい。
 関敬吾『日本昔話大成』第4巻で調べると、このような譲り合いを持った話は、他の地方では石川県石川郡だけに存在していた。関係部分を抄出すると「…爺が山へ柴刈りに行っているところに婆が団子を持って行き三つずつ食べる。爺食え婆食えといっている間に一つ転がって穴に入る。」(137ページ。傍点酒井)とあった。
 さらに地下へ行った爺は、いくつかの地蔵の前を通り、その地蔵に焼き飯が通ったかどうか尋ねるところがある。このようにいわゆる「地蔵浄土」という別の話種に似た部分を持つ点も両地方に共通している。
 次に島前地区では、畑や漁に出かけたりなど、屋外で焼き餅を食べ一つ余る。譲りあうと、それが転がりだして穴に落ち、爺が追う屋外型であるのに対して、島後地区では家で焼き飯を作って食べると、一つ余ったので譲りあううちに、そばの囲炉裏の横の穴に落ちる…という屋内型であるように、両地区で際だった違いを持っているのである。