藤内狐と尻焼き川由来

語り(歌い)手・伝承者:鳥取県米子市車尾 浦上金一さん・昭和3年生

 とんとん昔があったげなわい。
 戸上に藤内狐という悪い狐さんがおって、そうでここら辺りの百姓家さんなんかを、とてもいじめていたので、村中の者が、
「なんとかして退治しちゃらないけんが」と話しておったげなわい。
 それからあるとき、村の若い者が会場に寄っていて、
「なんとかしてあの藤内狐をやっつけちゃらないけん」という話になったところ、一人の若者が出てきて、
「ようし、ほんならわしにそれやらしてごせ。ひとつ狐をちぇてもどって(連れて戻って)えらい目にくわしちゃあけん」と言うから、
「まあ、ほんならどげなことすうだら」と聞いたら、その若者が、
「いんや、とにかくわしの言うやにしてごしぇ」ということになって、「馬一頭と綱を用意してごしぇ」とその若者が言うものだから、馬とロープを持ってきて、その若者に、
「ほんなら行きてこい」と言って頼んだげなわい。
 そうしたら、その若者が、
「なんだいほかに用意せえでもええけん、囲炉裏に火箸(ばし)をかんかんに焼いちょいてごしぇ」ということほど頼んでおいて、若者は馬を引っ張って戸上の藤内さんが出てきそうなところへ、夜とんとんとんとん行きて歩いておったげなわい。
 だいぶん歩いて行ったようなところで、その若者がわざと、
「ばばさーん、迎えに来たっでぇ」と言って大きな声で呼んでみたら、なんにも返事がなかっただわ。
ー今夜は狐がおらんだぁかなあーと思ったけれども、また馬を引っ張ってことことことこと先の方まで行ったときに、また大きな声をして、
「ばばさーん、迎えに来たでーぇ」と呼んだら、遠いところで、
「ほーい」という声がしてきたてえわい。
ーは、こーら狐がおったぞ。今夜は狐をだまいちゃらないけんけんーというので、その声がしたからまた、その声の方へ馬を引っ張ってとことことことこ歩いて行ったそうな。それからまた、だいぶん行ったところで、また大きな声して、
「ばばさーん、迎えに来たでーぇ」と言ったら、
「おお、おお、迎えにきてごいただか」という大きな声がしたからそちらを見たら、細いおばあさんがしょぼろ腰してとことことことこ、これも向こうの方からこっちへ歩いて来られた。その若者が、
「ばあさん、おまえ、えらい遅しぇけん(遅いから)、迎えにきたところだが。いまもう遅うなっていけんけん、この馬に乗っていのうだが(帰ったらいい)」とその若者が言ったら、狐のばあさんが、
「ああ、ほんなら、せっかく迎えにきてごいたけん、馬に乗らしてもらあかい」と言ってその若者にだまされて、そいでまあ馬に乗ったげなわい。
 そいから馬に狐が乗ったから、若者は持ってきた紐(ひも)でそのばあさんの身体を馬から落ちないようにぐーるぐるぐーるぐる馬にからみつけたげな。狐がまだ縛りつけられたことが分からないものだから、
「まあ、そげにがいにからまでもいいわ。もう落ちいへんけんなあ」と言うけれども、若者は、
「えんや、落ちでもしちゃ危ねけん、しっかりからんじょかないけん」と言って馬の背にそのおばあさんをがんじがらめにからんでしまっただわい。それから、
「さあ、ほんならいなっじぇ(帰ろうよ)」ということで、とことこ今度は帰りかけながら若者は、
ーはあ、ええ具合に今夜は狐をだまいたけん、いんで、焼け火箸でけえ、ほんにええかていうほど、こな狐をいじめてこましちゃらないけんーと思ってとことこもどっていたら、途中になったら狐が、だいぶんえらくなったようで騒ぎだした。
「なーんと、ちょっこうでいいけん(少しでいいから)、この紐を緩めてごしぇ。おらもかなわんやになったわ。もう緩めてごしぇ」と言うけれども、その若者は、
「えんや、緩めたぁなんかしちゃぁ、落ちいけん。そのまま、そのまんま」と言って、そのまんま連れてもどっていたら、狐もだいぶんしてから気がついて、
「なーんと、もうこらえてごしぇ、もうちょっこう(少し)緩めてごしぇ」と言うけれども、
「いんや、いけん、いけん。落ちいけん、落ちいけん」と言っているけれども、しまいになったら、
「なーんと、しょんべがしたんなった」と言うので、
「しょんべがしたんなったなぁ、馬の上でこきゃええけん、緩めたりなんかして落ちたらいけんけん、そうから今ここで降りたりなんかできへんけん、もうちょっこう辛抱すうだわ」と言っ帰っていたけれど、
「なーんと、しっことウンコといっしょに出だいたけん、なーんと降ろいてごしぇ、降ろいてごしぇ」てって、今度はなあ、狐の方から泣いて頼みだしたげなわい。
 そうだけれども、その村の若者は、
「えんや、もうちょっこうがなかい、降りられえへの。ちゃーんとこげしちょうだわ」と言ったら、
「しーことウンコがいっしょに出ぇわ、しーことウンコがいっしょに出ぇわ、降ろいてごしぇー、降ろいてごしぇー」と盛んに言うけれども、
「なーに、この狐め。今日はちぇていんでぇ(連れて帰って)えらい目にこかしちゃあけん」と若者も言いだしたものだから、狐もたいへんに恐ろしがって、
「こらえてごしぇ、しーことウンコがいっしょに出ぇわ、もう悪ことしぇんけんこらえてごしぇー」と言うやつを、馬にがんじがらめにしたまんま、若者の寄っている会場にもどったのだげなわい。
「さーあ、連れてもどったぞー。焼け火箸を用意してああか」と狐の化けたおばあさんを馬から引きずりおろし、焼け火箸をだれもかれもで、狐の尻にべーたべーたべーたべーたひっつけると、
「こらえてごしぇー、こらえてごしぇー」と言うやつを、無理やりにその尻に焼け火箸をひっつけて、
「まあ、あんまぁすうと今度ぁまた狐が死んではいけんけん、このぐらいでもう放いちゃらや」と言って放してやったげなわい。
 そうしたら、狐が泣いて一目散に山の方へ逃げるそのときに、なんぼしたって尻が熱いもんだから帰りがけに法勝寺川で尻をつけて冷やして、少しでも楽になろうかと思って、そうしただがな。そうしたもんだから狐も焼かれたやつが治ったので、今も「尻焼川」と言って名前がついただげなで。その昔こんぽち。

解説

 語り手は浦上金一さん(昭和3年生)。平成8年(19796)11月にうかがった話である。人をよく化かす狐をやっつける昔話が、ここ米子市では戸上山の藤内狐の仕業という形で伝説化されており、この話の他にも「似せ本尊」とか「田之久兵衛」「狸と狐の化かし合い」など、いろいろな昔話の主人公となって存在している。この尻焼き川由来の話も法勝寺川にかかわるものとしてよく知られているのである。