八百比丘尼
語り(歌い)手・伝承者:鳥取県米子市彦名 河場敏雄さん・大正15年生
昔、粟島の里、今の粟島神社の辺りに漁師がたくさんおって、そうして漁師が講ていいますか、集会をしたんだそうですわ。そうしたらそのうちの一人がトイレに行きかけて、そこの料理場をのぞいたら、何か得体も知れず、魚とも動物とも分からんものを料理していたって。そいから、帰って、
「ここのおやじはたいへんなものを料理しちょるぞ。あんな料理が出たって、みんなが食べえじゃないぞ」といって話しておった。
あんのじょう、その料理が出て、それで食べるものは食べて、食べ残しは家内の土産にといって包んで持ち帰ったと。それから、ほかのもんは、
「あれはどうも人魚だった。あんなもん食べちゃあろくなことはない」と家へ持って帰らずに途中で捨ててしまったら、一人のその酔っぱらった漁師さんが、捨てることを忘れて自分とこへ持って帰ったと。そうして、戸棚なんかへ入れておいたら、そこの娘さんがそのご馳走を食べてしまったと。
そうしたらそれが人魚の肉で、食べた娘さんは八百年までずっと長生きしたそうな。晩年は、あの粟島神社の洞穴に入って八百年も生き永らえたそうな。そいでいわゆる八百比丘さんが、終生住んだというのはあの洞穴だという具合にわたしら聞いております。
解説
語り手は河場敏雄さん(大正15年生)。平成7年(1995年)11月にうかがった。人魚の肉を食べた娘が何年たっても18歳の容貌のままであることをはかなみ、尼となって諸国を巡り、800歳の年齢を重ねて若狭の国(福井県小浜市)の空印寺で入寂したという伝説は、27都府県にわたって残されている。八百比丘尼と呼ばれるゆえんである。中には京都、岡山、島根の一部のように1,000歳で入寂し、千年比丘尼と称する話もあるが、内容的には八百比丘尼と変わらない。長生きをしたいと願う人々の気持ちが生んだ伝説だろう。