若水汲み
語り(歌い)手・伝承者:島根県仁多郡奥出雲町竹崎 田和朝子さん・明治40年生
昔があったそうです。あるところにおじいさんとおばあさんがいました。
正月の若水を汲みにおばあさんが行って、水を汲んでいたところ、杉の木にヨズクがとまって、
テレツケ ホーセー ホーホーテレツケ ホーセー ホーホー
と鳴くので、
「われはヨズクか、わしゃ福づくだ」と言っておばあさんが水を汲みました。その水を家へ持って帰って、台所の流しへ置いて、餅を煮て食べるため、その水を汲みに行ったら、水桶の中に白いものがたくさんあるではありませんか。何があるのだろうかと思ってよく見たら、なんとそれは白金(しろきん)ではありませんか。
おばあさんはそれを膳(ぜん)に置いて、神さまのところへ持って行って飾っていました。そこへ隣のおばあさんがやって来ました。
「まあ、ここにはどげしたことかい。えらいたくさん、銭がああが」と言いますので、その家のおばあさんが、
「そりゃあ、おらが若水汲みに行きて、水ぅ汲んなかいにヨズクが来て、テレツケ、ホーセー、テレツケ、ホーセー言いもんだけん、『われはヨズクか、わしゃ福づくだわ』言いて、持ってもどって流しに置いて餅を煮て食わぁと思うたら、ちゃぁんといっぱい、こうがあったもんだけん、そうかぁ、神さんに飾っちょうとこだわね」と答えました。
「やあぁ、こりゃいいことを聞いた。おらもほんなら、いんでそげぇすうぞ」と隣のおばあさんは、それから、すぐ翌日の朝、水汲みに井戸へ行って、水を汲んでいたところ、またヨズクが来て、木にとまって、
テレツケ ホーセー
テレツケ ホーセー
と鳴くので、「われはヨズクか、わしゃウズクだわい」と、その「福づく」と言うところを聞きまちがえて、「ウズク」だと言ってしまったばっかりに、帰ったらとても体がうずいて、とうとうそのおばあさんは死んだそうです。
それで、他人がよいことをしたからといって、自分も真似をしてよいことをしてやろうと考えることは、まちがいということです。それで昔こっぽし。
解説
昭和47年(1972年)4月にうかがった話である。関敬吾博士の『日本昔話大成』にも出ていない話であるが、わが国の昔話に多い隣人タイプをしている。
舞台は神との交流が許されるまだ薄暗い早朝に、神の使いか、神自体かも知れないフクロウに向かって、主人公は「われはヨズクか、わしゃ福づく」と縁起のよい言葉を発しところ、言霊信仰の作用で幸せになるが、真似をした隣人は「福づく」を間違えて「疼(うず)く」と不吉な言葉を言ったたため、言霊信仰により不幸な結果を招くのである。このように古代信仰を背景に持った話なのである。