テンテンコウシ

語り(歌い)手・伝承者:島根県隠岐郡西ノ島町波止 手錢 ユキさん・明治30年(1897)生

 とんとん昔がありました。ある田舎の荒れ寺があり、いくら和尚さんが座られても亡くなってしまいます。そのうちある偉い和尚さんが回って来られました。
「自分がそのお寺に座って見っけん」。村の人々は、
「あんたが座られても、見えなくなっけん」とめても、「自分が元気でおったら、明日の朝、鐘たたくけん、あんたらっちゃ上がって来い」と和尚さんは、寺へ入りました。夜中の一時ごろ、「テンテンコウシ、内んですか」
「あんた、どなたか」
「トウヤノバトウとは、いか-ん、いか-ん」
「それは東の野原にいる馬の化けたやつだ。下がれ」。
 それで、音がしなくなりました。また一時間すると、「テンテンコウシ、内んですか」
「はい」
「ホクチクリンイチガンサンゾクケイとは、いか-ん、いか-ん」
「おまえは北の竹山の中にいる目の一つある、足の三本ある鶏の化けたやつだ。下がれ」。
 それでまた切れました。それから一時間ほどしすると、
「テンテンコウシ、内んですか」
「内におる」
「ナンチノタイリギョとは、いか-ん、いか-ん」
「おまえは南の池の中にいる大きな鯉の化けたやつだ。下がれ」。それで、また切れました。
 さらに一時間たちました。また、
「テンテンコウシ、内んですか」
「内におる」
「テンテンコウシとは、いか-ん、いか-ん」
「おまえは、この寺の建つとき使ったジョウバン(大きな木槌)だ。それがこの上の方に取ってあんに、その化けたやつだ。下がれ」。
それで切れてしまいました。
 朝になって、村人たちが、
「昨日の坊さんは、死んだだらあ」と言っていますと、鐘がガンガン鳴りました。見れば和尚さんが、おいでおいでと手招きしています。村人たちは、みんなやって来ました。
 そして、東野の馬頭の方へ行きますと馬の頭があり、持って帰りました。また、北の竹林へ行くと鶏の一つ目の足の三本あるやつがコツコツいっていたので、持ち帰り、南の池の中を掻き出したら大きな鯉がおり、それを持ち帰って、みんなで料理し、寺の屋根裏に残されていたジョウバンも、料理をするときに燃やしてしまいました。そして、酒肴で祝って、喜んだということです。

解説

 語り手は手銭ユキさん(明治30年生)。昭和51年4月17日にうかがった。これは「化物問答」として、全国的に分布している。多くは化物を退治した和尚さんが、その後、この寺の住職に納まるという筋書きになっているが、この西ノ島町の話では、そこまでは語られていない。テンテンコウシは「テンテン小槌」の転化かと思われる。