蛇婿

語り(歌い)手・伝承者:八頭郡智頭町波多  大原 寿美子さん・明治40年(1907)生

 昔あるときぃなあ、このヤシロのかんかくじゃけれど、金屋というところがありましてなあ、その金屋の奥に金屋の洗足(せんぞく)いうて、今でも言いますけど、そこにまあ、蛇が住んでおったふうでなあ、そうしたら、まあ、金屋にいい娘さんがあって、それにまあ青年が毎夜さ、遊びぃ行くしすりゃあ、それを男もいっしょになって遊びぃ行くしして、それでまあ、夜になったら、寝しなになったらみんな帰るに、そのまあいい侍格好のいい男は、一人残って、毎夜、泊まって帰るじゃそうな。そうするというとお母さんが心配して、
「ありゃあ、どんな若衆じゃ。ええ若衆じゃけど、どこの若衆じゃ」
「さあ、どこじゃか、何にも言いさらんで」て言うて。
「そげいな人は……、名前も言わず、ところも言わずするような者を泊めちゃあいけんで」って言うて、
「さあ、そうじゃ」言うて娘さんはおとなしゅうしとうおしたけど、お母さんがしゃんとしたお母さんじゃって、
”まあ、いっそこの男を”思うて、その帰るいにがけえ袴の裾に針でその苧ひげを通いて、針でくしゃくしゃっと分からんように、針いっぺえに縫うて、そうしたところが、ずっとその男が、次ぃ次ぃとまあ金屋の奥にまあいんで、ずうっと引っ張って、そうしてもどるししたら、いんでみるところが、裾にその針ぃ刺されたんが、そんな蛇じゃけえ、着物も袴も着ちゃあおらんじゃけえ、その尾っぽに針を刺されとるんじゃけえ、そいけえ、痛いんじゃけえ、
「痛い、痛い」言うて、まあ寝とるし、そいからまあ、そいからお母さんが、ひょいっと出て見るところが、雨垂れへ石がひょっと下りるというと、血がぽとりぽとりついとるけえ、
”こりゃあ”思って、朝早う起きて、お母さんがそのぼとりぼとりした、その血痕をずっと捜いて上がったら、金屋の洗足へ上がっとって、金屋の奥へ上がって、ずっと金屋の洗足へまあ、その家があって、見りゃあ、ずっと大きな蛇が寝とって、
「痛い、痛い、痛い、痛い」言うし、ずっとまあ、
「人間ほど恐ろしい者ぁない言うに、おめえが人間や何や、近よるけえ、そいでこの目に会うじゃ。何ちゅうことをしたじゃ」言うし、
「何じゃ、痛いしするけど、お母さん、心配せんでもいいじゃ。あの、何じゃけえ、わしが何しとるけえ、残いとるけえ」言う。
「そんなことを言うたって、どうなろうに。人間は恐ろしいもんじゃ」
「痛い、痛い」言うて、蛇は刺されとるけえ、そう言いよるじゃ。
「そいけえど何じゃ、人間はりこうなもんじゃけえ、五月の節句にあの菖蒲いうもんが……、それで屋根をふくがよう、それから蓬(よもぎ)を摘んで、その蓬で屋根をふくがよう、蓬と菖蒲とで屋根をふいたら、それより内にゃあ入れんじゃあ」て言うて、
「そいけえ、人間は恐ろしいもんじゃ」。
「これはお母さんがいいことを聞いたがよう」言うて、それからお母さんがもどって、娘にそぎぇ言うと、
「さあ、お母さん、ほんに悪いことした。毎夜さ寝るに、人間の肌でない、ほんに冷たい冷たい肌じゃった」言うて、
「何ちゅうことをひたじゃいや」言うて、それからまあ、お母さんが、何じゃ、大きなまあ、煮え湯ぅ沸かいて、そして、そのまあ、お産が始まってお産ができるというと、まあ出るものをみんな煮え湯ぅかぶして、みな殺いてしもうたけれど、まあ、一つ、
「こなはきれいなもんだわ」言うて、煮え湯がすんで、それを一つ、よう殺さなんだのが、今でも蛇が絶えとらんじゃとや。それをみんな殺いとったら、そしたら蛇はこの回りいおらんじゃけど、それぇ、
「まあ、こげな小さいもんを……、煮え湯がすんだし、まあ、今すんだなあ。どこぞで死ぬるわ」言うて放っておったんが、蛇が切れなんじゃとや。そればっちり。

解説

 昭和62年(1987)8月23日にお宅でうかがった話である。大原さんは中ごうらのおじいさんが、正月礼に来て話されたものと教えてくださった。関 敬吾『日本昔話大成』では本格昔話の「婚姻・異類聟」の中にある「蛇聟入り・苧環型」に分類されている。