冬に来る山姥

語り(歌い)手・伝承者:隠岐郡西ノ島町波止 福岡 エンさん・明治26年(1893)生

 とんと昔がござんしただ。ここの奥山からこの里へ雪が降るやあになっと山姥(やまんば)いってね、一人のばあさんがこっちの旧家の上(かみ)いうとこへ下って来よった。
こっちにはまだそげな(そのような)昔に何だり糸類やないだけん、その人が麻を作って、それの皮をはいで右の手でちぃと割って裂いて、そっか、左の手でテガラをこしらえてね今度、車でよりをかけていい糸をこしらえて、機(はた)をこしらえることも習わすっし、魚を釣るテグスをこしらえよった。
 何月来ておってもね、雪が溶けるやあになっと、姿を消してしまって、山へ逃げてしまいましよったとね。
 ほっでまた、明けの年、雪が積もるようになっと、またその山姥は下って来よったということでござんした。

解説

 海洋性気候地帯に属するこの地区では、冬といってもあまり大雪は積もらない。したがって、「跡隠しの雪」のような昔話にはついぞ出会うことはなかったが、雪に関わりを持つ山姥伝説を聞くことができた。小字名は波止、語り手の福岡エンさんは、隠岐の海そのもののような爽やかな明るさをたたえておられた。
 なお、話し言葉にありがちな言い間違いなどについて、多少の修正は施しておいた。
 山姥といえば「牛方山姥」に出てくる牛方を襲ったり、あるいは「天道さん金の鎖」に見られる母親を食い殺し、さらにその子どもまで狙ったりなど、概ね民話に出てくる山姥は恐ろしい妖怪的存在として語られる場合が多い。けれども、この離島に伝わる山姥は、なんと心の優しい、親切な存在であることか。里人に機を織ることを教え、また、四方海に囲まれて海の幸に恵まれたこの里に釣糸であるテグスの製法を伝授するのである。まるで生産の女神、あるいは漁業の女神とでもいえそうな健康な姿を示しているではないか。
 そして、ここの山姥は雪が降り始めると里にやって来て人々に幸せを授けるが、春となり雪が溶け出すと、いつの間にか山に帰って行くのである。
 こうして眺めてみると、この山姥は新年になるとどこからともなくやって来て、人々に年玉を与える「正月つぁん」こと、正月神となんとよく似ていることか。
 そして、この島前地方でのこの神は海のはるけき彼方から西ノ島の三度(みたべ)地区にまず上陸して、各地区へ出かけることになっているのである。このことはかつての子どもたちにうたわれていた「正月つぁん」歓迎のわらべ歌によって証明される。例えば西ノ島町三度の万田半次郎氏(明治19年生)によると、

 正月つぁん 正月つぁん どこから おいでた
三度の浜から おいでた
重箱に餅入れ 徳利(とく)に酒入れ
とっくり とっくり ござった

 こんな詞章であったと教えていただいた。
この歌には直接、雪との関わりは見られないものの、やはり雪とは無縁ではない山陰地方に位置する隠岐島の正月の神である。したがって、この男神は雪の降りしきる新年に常世の国から海を渡って来訪されると考えられるのである。
こう見てくると正月に来臨する正月神と雪のある間、山からやって来てこの地に滞在する先の山姥とは、実に好一対をなす男女の神ということになる。わたしはこのことに気づき一人秘かに微笑しているのである。