狐の踊り
語り(歌い)手・伝承者:松江市宍道町東来待 勝部恭雄さん・明治40年(1907年)生
森の前の石山の上、金比羅さまの下の山の少し高くなったところに平らな岩がある。
昔、名月の夜に狐どもが踊ったところだそうだ。
その山の麓に良介さんという正直なそして生き物をかわいがる人がいた。
「なんでも名月の夜にあの岩には狐どもが出て踊るそうなが、なんとしても見たいものだ」と良介さんは思っていた。
ちょうど仲秋の名月の夜、良介さんは山に登ってかがんでいたそうな。夜もしだいに更けて月は頭の上に昇り、全てが静まり返り、何とも言われぬ気持ちがしたそうな。
そのようなとき「バサッ」と音がして、一人の若い御殿女中風の女が出て来たそうな。と、また一人、今度は若い衆姿の男が出て来て、玉を転がすようなよい声で歌い出したそうな。やがて近くの木陰から次から次へ男女が出て来て、つごう七人ぐらいになったそうな。みな一緒に実ににみやびやかかな、あたかも鶴か何かの舞うように身も心も軽やかに舞うのを良介さんは固唾を飲んで見ていたが、たまらなくなって一歩二歩と、とうとうその舞っている中に行って、おもしろおかしく一緒に踊ったそうな。
ひとときもふたときもなんとなくひやびやとした風に、はっと我に返るとだれもいなかったそうな。
「ああ、夢だったか。しかし、どうしても夢とは思われん、本当のことだ」と良介さんは、その後、心安くしている熊さんという毎日鉄砲撃って鳥や獣を取っている人に話したそうな。熊さんは、
「ほんなら一緒に、どうでもその狐の踊りを見たい」ということになって、二人は連れだって、また満月の夜、その裏のところに登って待っていたそうな。
夜がしんしんと更けわたるころ、やがてまた、御殿女中風の女が現れ、次から次へと若衆姿やいろいろの者が現れて、ぞろぞろと出てきたそうな。それで熊さんがあっけにとられて、もう我慢がならずに走り出して、その中に行ったそうな。突然、奇怪にも今まで舞っていた人々の姿がぱっと消えてしまったそうな。
それ以来、どうしたことか再び狐の踊りは絶えてしまったということである。
それはあるいは、動物を殺す人と生き物を哀れむ人の違いによって、狐たちが姿を見せなくなったのではあるまいか。
(平成4年6月30日収録)
解説
場所が特定されており、人物名もあるところから、伝説にしてもよいとも思われるが、子ども時分、周りの人々から聞かれた半紙ということで、まだ伝説と言えるまでになっていないものと考え世間話としておいた。