産神問答(昔話)
語り(歌い)手・伝承者:隠岐郡海士町保々見 徳山千代子さん・明治37年(1904)生
昔々、遍路さんがサイの神さんのところで休んでいました。サイの神さんというのは、峰の境目にある神さんで、目の見えない神さんでもあり、そこを通るときには、みんながついてきた杖をあげると喜ばれて、目も治してくれるし、助けてくれるそうです。
さて、夜中になって、
「サイの神さん、サイの神さん」と言って起こす者がおりました。遍路さんは、
ーはてなーと思って、聞き耳を立てていたら、箒(ほうき)の神さんと檐桶(たご)の棒の神さんでした。
「村にお産がある。時間だけん、サイの神さん、行きましょうや」
「おう、おまえらちゃ来たか、そんな一緒に行くだわい」。そう言って神さんたちは村へ下って行ったそうですが、夜明けになって帰ってきて、
「ああ、よかった、よかった。お産は楽にすんでよかっただいど、一人の男の子の方はかわいそうなことだ。気の毒だいどしゃあがねえだな」
「女の子の方は、がいに幸せな子で、一日に塩を三合も使うような身分を持って生まれとっだいど、男の子の方は一年に一合の塩を使うだけしか運を持っておらんので、かわいそうなことだいど、しかたがねえだわい」と話し合っていたそうです。
それからまあ遍路さんは、
ーおかしなことを言うわいな。わしゃ夢見ちょっだらあか。ま、とにかく下って聞いてみら分かっだけんーと思って、それから村へ下(くだ)って村人に、
「夕べ、この村に産がありましたか」言って聞いたら、
「はい、ありました。男の子と女の子と生まれて、そのニョウバン子(女の子)の方は、がいにいいとこの子でもねえだいど、男の子の方は、がいにいいとこの子だわい」と話したものですから、
|ああ、そげなら、夢だなかったわいな|と思っていました。
それからまた、何年も経って、女の子が嫁さんになって行くようになってから、遍路さんは、神さんの言ったことが本当か嘘か、確かめようと、もういっぺん、その村へ行ったら、男の子の方は死んでしまっていて、もうおりません。しかし、女の子の方は酒屋の嫁さんになって、とても繁盛しておりました。遍路さんは村の人に男の人のことを、
「どげな暮らしをしとったかいな」と聞きますと、
「かわいそうに。身体が弱いでもないのに、することなすことが、いい方へ一つだい向かんで、まっで乞(こ)食(じき)のやあな生活しとってな。そいで、そこの酒屋さんの嫁さんが同じ年の同じ日に生まれたいうで、自分の兄弟のやあにえらいかわいがって、いつも家へ来りゃ握りして食わしたりしちょったにな、旦那さんがある日、奉公人にも示しがつかんし、格好が悪いけに、家やなんか入れて食わすっことはならんけん、言われて、そっから、しかたがないだけん、風呂場へ連れて行って、火焚くとこの釜の前へ座らして、そこでいつもご飯やったりして、食べさしておったのに、そこで風呂場の灰を掻きながらご飯食べちょって、け、こっとり死んだとえ。そっでな、その女の子の方はがいに繁盛しちょって、土地を買って、墓立ててやって、今でも祀(まつつ)ちょとえ」と話してくれたそうです。
ですから、人間はいつもいいことしなければいけませんよ。それで檐桶の棒なんかでも箒でも何でも、おまえたちは踏んだり、蹴ったり、またがったりするけれど、そんなことをしたら罰が当たるから、もっと大切にしなさいよ。女の子は子どもを生むときには、箒の神さんも檐桶の棒の神さんも回り荒神さんも、みな寄ってこられなければお産はできないのだからね。ついうっかりして足に当たったりしたら、拝んだりしてちゃんと扱わなければいけないのですからね。
(昭和51年5月1日収録)
解説
関 敬吾『日本昔話大成』でこの話の戸籍を調べると、「本格昔話」の「五 運命の期待」の中の「産神問答」に当てはまる。この話は四種類になる。一つは父親が産神の問答を聞いて今度生まれる自分の男児には福運がなく、同じ日に生まれた貧乏人の女児には運があり、将来、その女児と息子を結婚させるが、やはり、男の子の方はせっかく結婚しながら離婚して運から見放される、という話であり、二つめは炭焼きの子型で、炭焼きの子の運を産神が占い、子はその通りに王様になる。三つめは虻と手斧型の話であり、産神の言うように虻に刺されようとした息子を、父親は手斧で虻を追い払おうとして、誤って息子を切り殺してしまう話である。最後の四つめのタイプが「水の神型」と呼ばれているもので、河童などの命を取られる運命であるが、父親の機転でその運命から逃れる話になっている。今回の話は最初の話型の変形であり、サイの神に宿る男の子の父親は出てこなくて、それに代わって遍路さんが登場しているのである。