小僧の化け物退治(昔話)
語り(歌い)手・伝承者:仁多郡奥出雲町大呂 安部イトさん・明治27年(1894)生
とんと昔があったげな。
昔、あるとこに小僧さんと和尚さんとおったげな。
和尚さんが言うことには、
「小僧、われも大分大きくなったけに、修業に出て帰れ」言ったげな。
それから小僧が支度して出ると、和尚さんが後からキザハシ(階段)半分ほどおりると、
「小僧、小僧、ちょっと戻れ」
「はいっ」ていんで、
「何ですかね」。そうしたら、
「忙しかったら、手を出せててなぁ」
「はいっ」。また出かけたら、
「小僧、小僧、ちょっと戻れ」。また戻ったら、
「大木の根より小木の根ててな」
「はいっ」て、また出よったら、
「もう一度戻れ、戻れ」。また戻ったら、
「大間より小間、小間より下段ててな」言ったげな。
それからどんどん行きたげなら、ずうっと曇って雨が降り出して、人が忙しげに洗濯物入れておったから、手伝いして、「忙しかったら、手を出しぇな」というのはこのことだわいと思って手伝いしたら、大変に喜ばれて、それからずっと行っていたら、今度は雷が鳴って大雨が降ってその大きな木のネト(根元)にちゃぁんと立てっていたけれども、
「あぁ、和尚さんがほんに、大木の根より小木の根ててな、言わしゃたけに、この大木の根を離れて小木の根に立つかな」思って、小木の根に立っておったら、始まりに立っておった大きな木に雷が落ちて焼けたげな。
それからまたずっと行って、ちょうとまあ、ここの方でいったら妙厳寺があって鍛冶屋があって、鍛冶屋みたいなとこへ寄って、それから、暮れたものだから、
「泊めてください」て頼んだら、
「あぁ、泊めてあげんちゅうことはねぇだども、このそらの寺には、和尚さんが来さえすりゃ、化けもんが取って食ってたまらんけん、あそこへ行きてみさっしゃい。飯はうちで食わしてあげえけん」言った。
それから、そこで夕飯を食べて、さあぁと大間に座ってこうしておったところが、「大間より小間ててなぁ、言っちょらったが、ほんに何だか寂しいやぁななぁ」思って、小間へ入ろうかなぁと、小間へ入ってちゃんとしておったら、化けもんががたがた言わしてアマダから出たげな。
はぁ、出たぞよぉ、と思っていたら、今度、外から、
「スイットンさん、おいでますかな」言って来たげな。それから、
〝ほほう、こりゃ化けが何ぼうでも来うわ〟と思って、今度は、
「大間より小間、小間より下段」言わっしゃったけに、下段へ入ろうかなぁ、思って下段ったらここの方で、いや、上段だ。あの上段の下に戸棚があって、そこへ入ってちゃんとしていたら、また、
「スイットンさん、おいでますかな」言って来たげな。で、化けもんが三つも寄って、それから、いい火焚いて当たって、
「さあ、これから尋ねぇかなぁ」言って それから尋ねる。
「たった今、ここに生くさ坊主(ばあず)がおったがなぁ」言って尋(と)めるげな。それだけれど、ちゃぁんと下段に入っておって、尋める間に夜が明けてコケコッコーが歌ったげで、それから化けはみんな逃げてしまって、それから小僧さんが、
「ああ、こりゃ逃れた」と思って鐘ゴーンゴンついたげな。
そうしたら、鍛冶屋みたいなとこの衆が、
「ああ、夕べは小僧さんが取られんだったぞよぉ言って喜んで、寺へ駆けつけて、
「どげだったかね、小僧さん」言ったら、
「ああ、化けが出えことは出たどもねえ、下段の下へ入って細んなっちょったら、みんな逃げたけん、今日は化け退治しようじゃないか」言って、
「まあ、アマダへ上がってみしゃっしゃい。化けがおぉけん」言ったら、
「やあ、おじぇだども…」言って周りの衆を誘ってアマダへ上がって、
「何っだいあらしまえんじ、小僧さん」
「いいや、何ぞああに違いねぇ。アマダから出たけん」
「いいや、ここに椿の木のカケヤがああますわぁ」
「いや、ほんなら、そぉだ、そぉだ。そぉが化けだ」言って 、それから、
「外から来た奴は、西の方の竹山へ行ってみさっしゃい。何ぞおぉけん」言ってねぇ。それからまたその側に池があって、その池の鯉を捕ってきて、鯉とその鶏と椿のカケヤが化けもんだったげなで、それをみんな退治して、その椿のカケヤなんか割って焚いたら青火が燃えた。それから近所の檀家のもんが寄って、
「小僧さん、ここの住職になってください」って頼んで、それからそこの住職にしてもらって、それから地元の方丈さんに手紙を出したら、方丈さんが大変喜ばれたという話で、昔、こっぽし。
(昭和47年2月26日収録)
解説
関敬吾『日本昔話大成』の戸籍では、「本格昔話」の「愚かな動物」の中にある「化物問答」と」に当てはまるものである。