猿聟入り(昔話)

語り(歌い)手・伝承者:浜田市三隅町古市場  西田ヨノさん・明治23年(1890)生

 おじいさんが乙姫(おとひめ)と姉娘の二人の娘を連れていました。
 さて、このおじいさんは奥山に稲をたくさん作っていました。
 しかし、いつ行ってみても、その稲を猿が食べてしまっていたそうです。それで、おじいさんは、
「さて、どうしたらよいかなあ」と、いつもそれを案じて見に行きましたが、やはり猿はそれを食べてばかりいます。
 おじいさんは、猿の姿も見えないのに、つい独り言で、
「まあ、猿さん、猿さん、おまえがこの稲を食わんといてくれりゃあ、おまえの嫁さんに、うちの姫をやる」と言ってしまいました。そうしたら、猿はそれをどこかで聞いていたらしいですね、その証拠に今度行ってみたら、稲は一つも食べられてはいません。
「こりゃあ、さっぱりしもうた。猿は姫を連れに来る」こう悟ったおじいさんは、心配のあまりご飯が食べられなくなり、寝ついてしまわれました。
 そのうち、姉娘が来ました。
 姉娘はおじいさんに言いました。
「おじいさん。起きてお茶を飲みんされんかい」
「わしの言うことを聞いてくれりゃあ飲むが、そいでなけにゃ起きん」
「そりゃあ、おじいさん、何でも聞きまさあな」
「ほんならのう、わしの頼みじゃが、おまえ、猿の方へお嫁に行ってくれんか」
「猿は爪でひっかいてぼいしい(恐ろしい)けえ、お嫁なんかによう行かん」
 おじいさんは、また寝てしまいましたそうな。
 そのうち下の乙姫がやって来ました。
「おじいさん。起きてお茶を飲みんされんか」
「おまえ、わしの言うことを聞いてくれたら飲む」
「そりゃあ、何でも聞いてあげます」
「猿の方へ嫁に行ってくれんか」
「おじいさんの言いんさることじゃけえ、行きましょう」。
 そこでおじいさんは起きてお茶を飲みました。乙姫は、
「おじいさんなあ、嫁入り道具として、わしにタンスの代わりにねえ、ハンドウ(水瓶)をやんさい。そいから、鏡の代わりにアワビの入っていたアビ貝殻を買うてやんさい」と言います。
「そりゃ何でも、おまえの言うものを買うてやる」とおじいさんも承知しました。
 それから猿がある日、姫さんを連れにやって来ました。それでハンドウを婿さんの猿に負わせ、姫さんは鏡に見立てたアビ貝殻を持って出発しました。
 猿さんは、先にハンドウを負って行きました。その後を乙姫がついて行きます。
 大きな川があって、橋を渡らなければなりません。猿さんはそこを渡って行きました。娘はわざとアビ貝殻を川へ落とし、
「猿さん、猿さん、鏡を落としたが、どがあしょうかいなあ」言って惜しがるふうに泣き出しました。猿さんも自分の嫁の姫が泣くので気が気ではなく、ハンドウを負うたまま川へ飛び込みました。
 すると水がハンドウの中に入ってきましたので、その重さのため、猿は川の中に沈みはじめました。猿さんは一命が終わるとき、

 猿里の死ぬる命は惜しまねど ただ乙姫が泣くぞかわいや アンブルブルブル…

と歌を詠みながら沈んで行きました。それで、姫さんも猿さんの嫁にならなくてもよいようになりました。

(昭和35年収録)

解説

  歌を詠むしゃれた猿ではあるが、結局は人間の知恵にはかなわず、娘は猿の嫁になる難から逃れたという話である。猿は農耕社会での荒らぶる神の象徴であり、未婚の女性を人身御供にした信仰の名残が話の背景にあると思われる。類話の多くは三人の姉妹が登場するが、この三隅町の話は中の娘の部分が脱落して語られたものと考えられる。
 なお、このころ私(酒井董美)は収録を始めたばかりで、語り手が語っている途中で質問をしたりして語りを妨げたりしている。しかし、特に悪意があったわけではなく、採録技術が未熟だったのが原因である。その点を理解してお聴きいただきたい。