法事の使い(昔話)

語り(歌い)手・伝承者:出雲市大社町宇龍  阿部文四郎さん・大正4年(1915)生

 あるところにおばあさんと兄弟が二人おったと。そいで弟の分は、名前は東六てて言いよったそうですわ。そいでまあ睦まじく百姓をしておったが、ああときお母さんが突然、急死したと。それでそのために、その東六に、
「東六や、東六や、お寺へ行きて和尚さんに拝んでもらわにゃいけんけん、おまえ行きて来いや」てえ言う。
「あんちゃん、おら、行くことは行くだども、和尚さんててどぎゃんふうしとられえか」て。
「いや、黒いなあ着物着ちょうなはあけん、すぐ分かあけん、そいでその和尚さんが出なはったら、『うちの母が死にましたけん、すぐ来て拝んでください』て頼んで来いや」て。
「はいはい」て言うて、その東六は一生懸命、お寺へ行きたと。したとこめが、玄関のところに、鴉が二羽止まっておった。で、
-こら、あんちゃんが言うた、これがその和尚さんだらか-と思て、
「和尚さん、和尚さん。うちの母が死にましたけん、すぐ来て拝んでください」て言ったら、
「カア-、カア-」て言うたてて。
「かあじゃございません、母でございます。早く来てください」て言ったら、また、「カア-、カア-」言って飛んで逃げた。
「あの、かあかあじゃございません、母でございます」て言いて、腹を立てて家へ帰ったと。そうで、あんちゃんの言うことには、
「東六や、東六や、和尚さん、すぐ来なはあか」て言うたら、
「いや、『カアカアカアカア』言うて、いっそ『来う』てて言わっしゃらん」
「東六や、そら和尚さんだねわなあ、玄関ひゃって、そうして障子を開けて、ちゃんと和尚さんが出なはりゃ、そのこと言わにゃいけんが、おまえは玄関口の鴉にそげ言うたらが」て言ったら、
「何だい知らんが、あんちゃんが黒い着物着ちょうけん、それで玄関のところの塀に止まっちょられたけん、そいでそげ言いたわ」て。
「こな、こわいす、どげないならんの」て言うて、自分が行きて、今度は和尚さんに頼んでもどったと。家へ今度は頼んでもどって、
「そいじゃあ、和尚さんがおいでえけん、酒でも一杯出さんないけんけん」というので、
「東六や、東六や、後ろの二階になあ、酒樽に酒が入れてああけん、おまえ、尻をちゃんと持っちょってごせや、あんちゃんは上から下げえけんなあ」
「おお、おお、なんぼでも持っちょうけんなあ」言うて、今度、和尚さんがおいでるまでに兄貴が倉へ上がって、酒を下げたと。で、縄でいわえつけて、下へ下げえのに、
「いいか、東六や、尻持っちょれよ」
「うん、せわない。持っちょうけん」
「せわあないか」
「いや、せわあない」。それからそろそろそろそろいったら、ズド-ンと落ちいとる。
「こら、何のことだ。東六、おまえ、尻持っちょれんだねか。樽がめげたがな」手言ったら、
「あんちゃん、おまえ、このごとくに、おら、尻持って、死ぬうほど尻持っておお」てて、自分の尻をつめって一生懸命に持っちょったと。
「やれやれ、おまえはことにならんのう」ちいやな話です。とうとう和尚さんにも酒は出されだったが、まあ結局、そういう弟がおって笑ったという話ですわ。
 そればっかあ。

(平成3年10月28日収録)

解説

 関敬吾『日本昔話大成』によって、その戸籍を紹介しておく。それによると「笑話」の中の「愚人譚」に属し、「愚か村」として位置づけられている。