三つの易(昔話)

語り(歌い)手・伝承者:浜田市三隅町向野田  齋藤トシエさん・明治33年(1900)生

 昔、ある百姓家に直次郎さんというやさしい亭主がおられました。それには独り子の十一ぐらいな息子がいるのです。そのうち、
「わしもなあ、長いこと京の本願寺ぃ参らんけえ、かかあや、なんでもわしゃ参って来たぁと思うがのう、留守ぅ頼む。今夜二時ごろに発って、二晩泊まったら三日目にゃあもどるけえ」
「はあはあ、そいじゃあ参って来なはい」
「痛しゅうはあるけが、お金ちいっと持って出るけえのう」と直次郎さんは弁当を準備してもらって、夜、出たのだそうです。
 一生懸命行っていましたら夜が明けて、今でいったら八時か九時ごろになって、易者の前を通りかかりました。
「もしもし、おっさん、あんたの手相を見てあげる」
「見ていらん」
「いや安うして見てあげる。本当なら五文なんだが、三文に負けたげるけえ」
「いや、三文もよう出さん」
「あがぁ言わんこうに、見てあげらあ。あんたは相に悪いとこがあるけえ見てあげる」
「はあ、しょうがなあのう」
 直次郎さんは三文出して見てもらいました。
 そうしたらその易者が言うことには、
「これは『大木より小木』『上(じょう)の間より下(げ)の間』『短気は損気』と出とるけえ、そのことに気をつけんさい」ということだった。直次郎さんは、
ー易者なんかちゅうていう者ぁ・八卦八段嘘九段・ちゅうて 合やあせんけえーと思って、一生懸命に京へ向かっていたました。
 するとそれまでよいお天気だったのが、黒雲が出て稲光がし、雷が鳴りはじめました。
ー待てよ、易者が言うことにゃ、『大木より小木』ちゅうた けえ、大きな木があんにありゃあするが、あの木の下に行くまぁてやーと思って、それから笹薮のようなところへ入っていたら、雷が大きな木に落ちたそうです。
ーはあ、やっぱり嘘じゃあないのう。三文の価値はあるーと直次郎さんは思ったそうです。
 それから、しばらく行っていたら午後になって日が暮れるでしょう。秋の日ですから…。 ところがなかなか泊めてもらえるような家がないそうです。そのうち、野中にたった一軒だけ家があったそうです。
「ごめんください。泊めてください」と言ったら、一人の人が出てきたそうです。
「泊めやするが、この家にゃ賄(まかない)して食わすることができん。前にはちょっと人に貸しとったが、長いこと空き家になっとるけえ、まあ寝せるだけなら寝せてあげるけえ」と言ったそうです。
「そいなら泊めてやんさい」。
 直次郎さんが入ってみると、けっこうきれいでよい家ではありましたが、人の住まない空き家になっていたのでした。それで寝ようと思いましたが、
-まことなあ、あの易者が・上の間より下の間・と言うとっ たから、このええ間へ寝んことにして、次のぼろの間に寝 ることにしよう-と、ぼろな部屋に寝たんだそうです。そうしたところが、夜中の丑三つごろになるとよい部屋の天井が落ちた大きな音がしたそうです。
ーなんと恐ろしいことい。この部屋に落ちにゃええがなあーと思って、それからは眠られずにいたら、いつのまにか夜が白々と明るくなったので、夜が明けるか明けないうちに直次郎さんはそこを出ました。それで難を二つ逃れました。
 そうして、いよいよ本山に参って、三日目に帰っていたところ、もう一里でわが家へ着くというところまで来たら、知った男に会いました。その男は直次郎さんの嫁さんがほしくて、親からもらいに行ったけれども、その人はあまり正直な人ではありません。
「あがぁなところへ嫁にやらん」と言われ、本人も「行かん」と言って行かなかったので、男が憎んでいたのです。それで、
ーこんなら喧嘩さしちゃろうーと思っていて、こう言ったそうです。
「よいよい直さん、直さん。おまえさんどこへ行きなさったかい」
「京へ参った」
「おまえさん、いつ出なはった」
「わしゃ三日前に出た」
「はあ、そうかのう。おまえさん帰ってみなはい。そっちのかかさんは若ぁ男を抱ぁて夜も昼も寝とんなるけえ」
「ほんとかいな」
「ほんといな」
男はそのようなことを言い出しました。
 男は続けました。
「わしゃおまえさんとこへ行って見たが、若い男を連ろうて夕べも寝とんなはった。今日もちょっとのぞいて見たが寝とったで。おまえさんの留守にゃあ、いつもいつも若ぁ男が来て寝とるけえ、おまえさん、ええ気になって出とんなはったって………」と言ったそうな。
 それから、やさしい直次郎さんもせっかく京へ参ってよいことをしたとおもって帰るのに腹がたったのでしょう。
ーはあ、わしゃあ京参りをしても何のことだか分かりゃあせん。おどれ、くそう。いんだら生かしておかりゃあせん-と思って、一生懸命に帰って、草鞋(わらじ)も脱がずに、
「かかあ、今もどったぞ」と言ったら、
「まあ、おまえ、あわただしゅう入んなはる。どがぁしんさったかね」と言う。
「おまやぁ、ほんに何ちゅうざまかい」
「こな子ぁ、おまえさんが参りんさってからハシカが出て熱がして、とってもいたしゅうてならんようなから、わしゃ連れて寝とるが」。
 十一になる息子だから若いのは若いですからねえ。
「はあ、やっぱり三文出して見てもろうてえかった。『短気は損気』ちゅうて言うたが、本当に具合いが悪かったんか。そうか」
「おまえ、どがぁ見識して(立腹して)もどんさったか」
「いんや、じつはおまえ、留守にこうこうで若い男を引っ張って入ったと言われて、腹が立ってならんかったが、もどってみて分かった。子どもの具合いが悪かったんか。おまえも寂しゅうて心配したろう。そいじゃあ医者に診てもらわんにゃいけんけえ」。
 直次郎さんは医者へ行くやら漢方薬を買うてきて飲ますやら一生懸命にしたそうな。
 まあ三文出して易者が言うたことが本当にみんな合って、喧嘩もせずにすみ、息子の病気も治ったという話です。

(昭和35年9月24日収録)

解説

 稲田浩二『日本昔話通観』の分類では、「むかし語り」で「知恵の力」の中に「話の功徳」として登録されているのが、それである。  この種類の話は、島根県下では石見地方で聞かれていることが多い。大田市富山町、江津市石見町青笹、同桜江町、大和町双子岩、浜田市弥栄町、益田市匹見町落合、同町道川、同町澄川、邑智郡川本町三原などで収録されていることが『日本昔話通観』島根編で分かっている。しかし、これまでのところ、出雲地方や隠岐地方でははっきりした記録がない。 この話であるが、三隅町の方は主人公が直次郎という固有名詞で出ており、この主人公が京都の本願寺参りに行く場面設定である。同種の話を全国的に眺めてみると、伊勢参宮であったり、江戸に働きに行ったりなどいろいろである。もちろん主人公の名前も一定しないのである。