小僧の蜂蜜なめ(昔話)

語り(歌い)手・伝承者:隠岐郡海士町御波  濱谷包房さん・昭和3年(1927)生

 昔あるとこに和尚さんと小僧さんとあったに、その小僧さんがなんててはしけえのなんの、
 あるとき和尚さんが見つけられたてや大変だけんと思って、小僧に隠れて蜂蜜をなめちょったに、けえ、見つかられて
「和尚さん、そりゃ何かの」
-こらしまったわい-と思っただえど
「こらなあ、年寄りがなめりゃ長生きする薬でな、わしゃこげして時々なめちょだけに長生きしちょうだども、こら子どもが舐めたりすりゃじき死のだけに、こりゃがいな毒だけにあたるだないだけに」ちゅうだけに戸棚に入れちょったに、
 和尚さんがあるときに法事に出たすきに、
-何をそがあにバカなことがあるか-ちゅうで小僧がなめたところが、何せ蜂蜜で、うめえのなんのけ、壺にあったやつをすっぱい舐めてしまって、-はてな、和尚さんがもどったちゅわぁどげなふうに言い訳をすりゃいいだろうかなぁ-と思って、台所に茶碗があるけに、
-よし、このだいじにしちょる茶碗をぶちめいでやれ-ちゅうで茶碗を五、六枚、ぶちめいでしまって。けえ、和尚さんがもどってから、しっぽっぽしっぽかっぽほええとこだ。
で、和尚さんが、
「小僧よ、主はなしてほえる」ちゅう。
「やれ、和尚さん、悪いことしたわなあ、だあけえ、和尚さんが大事にしとった茶碗をめいでけえ、しゃねえだけん、死なあと思っての、あの和尚さんが舐めえだねえ言っちょったもの舐めたにまだ死なれのけえ、まったごさっしゃいな。頼んけん」言ったら、
「やれなあ、主にはどげしたって勝てのわい」てって、け、和尚さんもけえ、兜を脱いだふうでごわすわな。

(昭和51年5月29日収録)

解説

 語り手の浜谷さんは、元公務員であり、口承文芸に関心の深い方であった。海士町での貴重な生き字引的存在である。 この話をうかがったときは、民話と文学の会を牽引している萩坂昇、大島広志両氏を迎えて、県立隠岐島前高校郷土部の諸君が案内役となり、海士町の民話収録に励んでいたときの収穫だった。 さて、この話、関敬吾『日本昔話大成』では、笑話の巧智譚の中にある「和尚と小僧」の「飴は毒」に戸籍があり、次のように出ている。  和尚は飴(あめ)(梨・酒・砂糖・金(こん)平(ぺい)糖(とう))を毒だといって小僧に与えない。小僧は和尚の秘蔵の茶碗を割って飴を食う。申し訳に死ぬつもりだがまだ死ねぬという。  各地にはこの話の仲間が語られているので、読者もどこかで類話をお聴きになっておいでと思われるのである。