鬼の豆(昔話)

語り(歌い)手・伝承者:隠岐郡知夫村多沢  小泉 ハナさん・明治26年(1893)生

 昔があったげな。
 鬼と人間とが出会って、
「鬼の世の中になるか、それとも人間の世の中になるか」と論をしたげな。
 そのあげく、
「炒(い)り豆に花が咲いたら鬼の世の中になるが、もし咲かなかったら人間の世の中になる。そして、豆を炒って入れちの箱に入れて十二時過ぎに花が咲いておれば、鬼の勝ち」。
 こういうことにして掛けをしたげな。鬼は安心して寝てしまったげな。
 十二時過ぎ。人間がそっと見たところが、箱の中の炒った豆に花が咲いていたげな。
「これはろくなことはない」
 あわてて人間は豆をすりかえ、鬼の豆を箱にしまって蓋をしておいたげな。そして、
寝ている鬼に向かって、
「さあさ、鬼、起きい」とたたき起こしたげな。
 そうして箱の中を見たところ、人間が豆をすりかえておいたので、花は咲いておらぬ。
 結局、鬼が負けたことになったので、魔が起きないようになったげな。
 節分の晩、
「鬼は外。福は内」と掛け合いをするのは、それから始まったことだげな。

(昭和50年(1975)6月4日収録)

解説

  語り手は知夫村多沢出身の小泉ハナさん(明治26年生)で、西ノ島町の老人介護施設みゆき荘でうかがった。昭和50年6月のことである。
 ここに登場する鬼は間が抜けていて、人間を信用して寝入っている隙に、人間が鬼の予言した花の咲いた炒り豆を、そうでない普通の豆とすり替えてしまうのである。つまり、ここではむしろ人間の方がアンフェアな方法で、鬼を出し抜く。鬼はいかにも善人で、すっかり人間を信用し、豆がすり替えられたことなど全く知らないし、人間を疑おうともしない。どうひいき目に見ても、人間より鬼の方に好感が持てる。ただ、この話では鬼の世になれば、魔が起きることになるので、それを防ぐために人間が不正な方法を講じてでも豆をすり替えなければなかったと、あくまでも人間サイド弁明するだけでなのである。