大歳の客(昔話)

語り(歌い)手・伝承者:隠岐郡海士町保々見  徳山千代子さん・明治37年(1904)生

 昔々、あるところにたいそうなお金持ちの家があり、近くには貧しい貧しい一軒の家があり、そこにはおじいさんとおばあさんとが暮らしておりました。お金持ちの家では年の瀬が迫ったというので、お餅をついて下女や下男や年男を呼んで、とてもにぎやかに騒いでおりました。
 一方、おじいさんやおばあさんの家では、餅をつくどころではなく、年越しをするのに粟(あわ)一升しかなくて、
「まあ、じいさんよ、困ったもんだなあ。われわれは粟一升あっだけん、粟の粥(かゆ)でも炊いて食べらいいだいど、神さんや仏さんに供えるもんがなあて、困ったもんだなあ」と言いますと、じいさんも、
「そげだなあ、困ったなあ」と言って、二人が思案していたけれど、一度に声をあげて、
「あったぁ」と庭を指さしました。そこには今年の正月に焚く炭が一俵だけ転がっておりました。
 そこのおじいさんやおばあさんは、普段、炭を焼いたり、薪を取ったりして、村へ持って行って売って、それでどうなりこうなり生活をたてておりました。
「じいさんよなあ、あの炭を売って仏さんや神さんに供えるもんでも買わだないか」。
「いや、わしも今それ、思い出して言っただわなあ」。
「ああ、そりゃいいことだ、いいことだ。そんなら、じいさん、ご苦労だだいどのう、村へ行きて寒いだだいど、売って何でも買ってきてござっしゃいな」。
「ほんなら、行きてくっけんなあ」。
 そう言って、おじいさんは寒い中を素足にワラジを履いて、その炭を売りに出ました。
 片一方の長者の家にはみすぼらしい老人が門に立って、
「三日も食べんとおって、お腹が減るし、寒いし、凍え死にそうなから、何でもいいから恵んで」と言ったら、年男が出てきて、
「まあ、ちょっと待っとれよ。旦那さんに聞いてくっけん」と言い、それから旦那さんに聞いてからもどって来て、
「旦那さんがなあ、おまえのような乞食にはなあ、捨てるもんがあっても、やるもんがないけん追い出せ、言ったけん、出て行け」と、その乞食を追い出して門を閉めて入ってしまったって。
 そこでどうしようもないから、その老人は、困ったもんだと思いながら、凍え死にそうになって塀にすがってうつむいておったところへ、炭売りにきた貧しいおじいさんが通りかかって、
「ちょっとちょっと、じいさんや、なぁせそげしてござる。具合いでも悪いこたぁねえかの」と言うと、
「具合いは悪くねえだいぞ、腹がすいてな、わしゃ凍えそうになって、ここの家がえらい餅ついてにぎやかにしており、いろいろとよけいあるもんだけん、わしに食わすもんはあらぁわなあ、ご飯一杯も呼ばりょうか思ってなあ、頼んでみたけど、『乞食に食わせるもんはない』言ってなあ、ここへ追い出されて戸を閉められてしまい、どうしようもなあて、ここにこうしてしゃがんでおったようなことだぁね」と答えた。 それを聞いた貧しいおじいさんは、
「ともかく何もないけど、わしのところへ行かあや」と言うと、
「ほんなら、世話になろうか」というようなことで、おじいさんはその老人を自分の家へ連れて帰ったって。
「今もどったわい。ばあさん」。
「やれ、もどらしたか。もどらしたか。寒かっただらあがや」。
「おお、寒かったけど、いいことしたわい」。
「ああ、そぎゃかの、えらいいいことさしたのう」。
 そうして、老人を家へ入れたら、その老人は気の毒がって、庭の隅のムシロの上に座って、
「わしゃ、ここでいいけに、ここに置いてもらうけに」と言って一服したけれども、おじいさんやおばあさんは、
「まあ、何ちゅうこと言わっしゃる、この寒いに。年寄りは炬(こ)燵(たつ)に当たっとっても寒いに、そげなところへ座っとりゃ冷えてしまっけに、はや、ここに上がらっしゃい」と二人で手を取って、老人を座敷に上げてやって、どんどん薪を焚いて当たらしてあげたって。
「じいさん、何ぞ買ってござったか」。
「おお、炭売って米一升買ってきたけに、はや、これを炊いてこの人に食べらしてやれよ」。
「おお、じいさん、そりゃいいことをした。いいことをした」。
「明日の正月はどげでも、今夜が正月だ。さあ、お客さんがござった。いい正月だからお粥を炊いて、お客さんにたくさん食べさしてあげようや」というようなことで、お粥を炊いて、
「さあ、食わっしゃい。さあ、食わっしゃい。腹いっぱいになっても食わっしゃいや。容(よう)赦(しや)(遠慮)すんなっじゃ」。こう言って、二人がその老人をとてもだいじにして、お腹いっぱい食べさせて、寝るときには一枚だけの煎餅布団をその老人にかけてあげて、自分たちは庭の隅にあったムシロを取ってきて、二人仲間に着て寝た。
 それから、朝、目が覚めてみたら、老人は藻抜けのカラで姿が見えない。
「おかしなことだなあ、じいさんよ。あのおじいさんはおらんわい」。
「どげ言うことだ。この寒いにどこだい行くところもねえに、出て行かしただらぁか。容赦な(遠慮する)人だなあ」と言いながら、
 二人がふいと庭に降りて、あたりを眺めたら俵が三重ね積んであり、その上にお供えの餅が四重ね積んであり、そしてそばに小判十枚入った袋が乗せてあった。
「こりゃありがたいことだ。あのおじいさんは乞食じゃない。あれは金(かね)の神さんだわあ。われわれの心見にござっただらあか」というやなことで、そいで喜んで近所の人を呼んで、
「夕べは金の神さんがうちに泊まらして、お粥食べさしただけだに、こげぇなようけ、何百倍にしてもどしてくれたけに、われわれだけ食べては罰が当たるけに、さあ、みんな来て食べてください。他の人も少しずつでも持って帰ってください」言って分けてあげて、そして祝ったそうです。
 そしたら、もう片っぽの分限者の方は、正月の五か日が過ぎたら、売り家の札がかかって門が閉まっちょったそうです。
 そいで部落の人がみんなが、一斉に声を合わせて、
「普段から欲な人で捨てるものがあっても、人にやんのは嫌な人だったから罰が当たっただなぁ。あんたたちはな、なんぼ貧乏しちょっても、人を労(いたわ)ってあげただけん、金の神さんがちゃあんとあんたたちの心を見込んで、そして助けてくれたんだなあ」。
 みんなが喜んだり喜ばれたりして、ほいで、そこはだんだんだんだん困ったりしちゃあお米が入ったりして、安楽に長生きされたそうです。そんなお話でした。

(昭和52年4月23日収録)

解説

「大歳の客」と呼ばれる話である。歳神が乞食に姿を変えて人々の社会を訪ね、よい人かどうかを試し、貧乏ではあっても心のやさしかった老人夫婦に幸せを授けるという図式になっている。
 まず、関敬吾博士の『日本昔話大成』から、この話の大筋を紹介しておこう。

 一九九A 大歳の客(AT七五〇A)

 1、貧乏人な夫婦が大年の夜乞食を泊めて親切にする。乞食は(a)翌朝黄金になっている。(b)井戸に落ちたので引き上げると金。2、隣の金持ち夫婦が翌年の大年に乞食を捜してきて無理に泊める。(a)乞食は汚いものになる。2、井戸に落ちたのを引き上げてみると牛の糞。(c)蛇になって二人をのむ。(d)乞食は蛆になる。(e)死んでいる。(f)金にならないので殺す。

 この全国的なタイプから、保々見の話を当てはめてみるならば、もともとは長者も隣人タイプとなって、翌年の大歳(大年)に失敗する話だったのだろうが、伝承の過程で改変されて没落してしまっているのであろう。
 語り手の徳山さんは海士町保々見地区で一人で生活しておられたが、いつも明るく私たちに協力的だった。そして昔話の語り方は実にキメ細かく、温かい雰囲気の中で楽しく聞かせていただいたものであった。ご家族には恵まれなかったのか、孤独な暮らしであり、かなり大きい男女一対の幼児の人形が、常に篭の中に置かれていたことを思い出す。最初見たときは、この人形はまるで生きているような感じだったので、ちょっと異様に思ったものである。寂しい一人暮らしのつれづれの慰めに、それは飾られていたのであろう。今も懐かしく当時の様子が思い出されるのである。