焼き米を食った男(昔話)

語り(歌い)手・伝承者:浜田市三隅町芦谷  池田重哉さん・大正12 年(1923)生

 昔、あるところにたくさんに焼(や)っ米(こめ)を食べる男が二人ほどおりました。それである家へ焼き米つきに雇われました。
 焼き米をついてしまったら、そこの主人が、
「おまえら、よう焼っ米を食べるけえ、しっかり食べえ」と言った。そして一人の男に、
「どのぐらい食べるか」と聞いたら、
「一升ぐらいは食べる」と言うし、もう一人の男は、
「二俵食べる」と言う。
「それなら好きなだけ食べえ」と言うと二人は、たいそう喜んで焼っ米を腹いっぱい食べたそうです。そうしたところ、なにしろ焼き米のことなので、とても腹が大きくなって、どうもこうもならんようになったので、一升食べた男は戸口へ出て、干し大根の下げてある縄を腹へ巻いて、その干し大根を一本ずつ取っては腹の周りにどんどん下げて、身体中にそうして帯で巻いても辛くてならんから、うなって寝ていたそうです。
 それからもう一人の二俵ほど焼き米を食べた男は、向こうの方にある一反ほどの荒(あ)れ畑(ばたけ)を大三(おおみ)つ鍬(ぐわ)を持って夜明けまでパクリパクリ打ち返し、とうとう一反全部を済まし、また腹が減って、
「焼っ米を食べさせてくれんか」と言ったくらい元気になりました。
 けれども、もう一人の干し大根を下げた男はどうしたのかと思って行ってみたら、腹が大きくなり、張り切って死んでしまっておったそうです。

(昭和35年(1960)2月28日収録)

解説

 語り手の池田さんはこの話を益田市匹見町道川で聞いたと話しておられた。
 焼き米は新米を火で調理して作る。そして、これをまず農神さまに供えるものとする風習が、以前はよく見られた。そのような信仰を背景にしてこの話を考えると、食べた後も懸命に働いた男は、神の意志にかない、生存を許されたものと思われる。