天道さん金の鎖(昔話)

語り(歌い)手・伝承者:隠岐郡知夫村仁夫  中本マキさん・明治39 年(1906)生

 とんと昔があったげな。あるところにお父さんとお母さんと子どもが三人おったとえ。
 そうしておったら、お母さんが亡くなったとえ。
 そいで山姥が人間に化けて、そこの後妻に入ってきてお母さんになった。そして、お父さんは働きに出ていないし、お母さんが幼い子どもを抱いて寝ちょったに、もう夜になったら、その子をボリボリボリボリ噛み始めたとえ。それで他の子どもらは、
「お母さん、何を食べちょる」て言ったら、
「われは魚(いよ)の骨を食べちょる」て言う。
「わしらにもちいとごさっしゃいな」。
「子どもが魚の骨食べるもんじゃない」と言って、そいでもボリボリ食べるものだから、
「わしらにもちいとでいいけん、ごさっしゃい」と言ったら、そいから、足、手の指を一本ずつくれたとえ。
ーやれ、こりゃ、子どもの指だ。や、われわれも噛み殺されっだが…ーと思って、山姥が働きに出た後で、二人は家を抜け出したとえ。
 それから、晩になって山姥がもどってきて、子ども食べようと思っていたけれど、子どもがいないので、
ーさあ、どけ行きたやらーと思って、ぐるぐる家の中や外を尋ねるけれど、子どもたちは見つからないとえ。
 そうしているうちに月があたってきたら、桑の木に登っておる影が映ったとえ。
「さあ、ここだ。どうして登った。われにも習わせ」。
「足に鬢(びん)つけ(鬢つけ油のこと)をつけて登った」。
 鬢つけ油をつけたら、なおつるつる滑る……、
「うそ言え! 本当のこと言え」と言ったら、今度は、
「水をつけて登った」。
 つい本当のことを言ってしまった。
 それから山姥は足に水をつけて登ったら、登られて、もう一尺ほどで手が届くようになったら、二人の子どもはとても恐ろしくなって、
「天の神さん、助けてください」と言ったら、天から金の綱がゾロゾロっと下りてきたので、それにつかまって二人は天へのぼっていった。それから、山姥も上がろうと思って、
「われにも金の綱をくださぁい」と言ったら,腐った縄をくれたので、それをのぼって行く途中、腐った縄が切れてしまい、山姥は地面に落ちて死んでしまったとえ。
 それで三人の子どもが天の星になったとえ。あの三つ並んでいるのがそれらしいとえ。
 その昔のごんべのはぁ。

(昭和51年(1981)8月1日収録)

解説

 語り手の中本さん(明治39年生)から話をうかがったのは、わたしの指導する県立隠岐島前高校郷土部が、知夫村を対象として民話調査を行ったさいのことであった。中本さんからはこのとき、たくさんの昔話を聞かせていただいたものである。最後の「その昔のごんべのはぁ」は、知夫村独特の昔話の最後を示す結句である。
 なお、この話の戸籍は関敬吾博士の『日本昔話大成』によれば、これは本格昔話の「逃竄譚」の中に「天道さん金の鎖」として登録されている。