地蔵さんのくれた鋏(昔話)

語り(歌い)手・伝承者:浜田市三隅町福浦  佐々木誓信さん・明治25 年(1892)生

 ある日のこと。花子さんは南蛮黍(「とうもろこし」のこと)を取ろうと思って、家の畑へ行きまして、
-あれがよかろうか、これがよかろうか-と捜すうちに、ひょっと南蛮黍の根元を見たら、南蛮黍はどの木もどの木もみんな赤くなっています。
-こりゃあおかしいのう、なしてじゃろうか-と思って、
「ははあ、こりゃ家のおばあさんに問うてみよう。うちのおばあさんは物知りじゃけえ」と言って家へ帰りました。
 そしておばあさんに、
「おばあちゃん、なして南蛮黍の根元は真っ赤なのかね」。こう問ったところ、おばあさんは、
「うん、うん、そりゃなあ、まだほかにももう二ぁつ根の赤いものがあるんだが、そのわけをわしが今から話してあげよう」と言って、
 次のように話し始めました。
 昔、あるところに、とってもやさしい、ものごとに気のよくつくおばあさんがおられました。そのおばあさんは豆腐屋さんで、ある日のこと、豆腐箱を負って峠を越そうと、いつものように峠の辻のお地蔵さんの前で荷を下ろして休んでいたところが、ちょうどその日は寒い霜の朝で、お地蔵さんの頭の上には霜が降っています。
「まあまあお地蔵さん、かわいそうに。立っとんさるけえ、頭へ白い霜がいっぱい…… まあまあ冷(ひ)やかろうで。ちいっと待ちんさいよ。わしがなあ、町へ行って継ぎゅう買うてきて、今夜は頭巾を縫うてあげるけえなあ」と言ってからおばあさんは豆腐箱を負って、また歩き始めました。
 それから、おばあさんは町で豆腐を売ったお金で赤い継ぎを買って来てお地蔵さんのところまで帰ってきました。
「この継ぎで頭巾を縫うてあげますで」。
 そう言ってふいとお地蔵さんを見ると、お地蔵さんの手に小さくてきれいなきれいな鋏がありました。
 おばあさんは、
「ありゃ、こりゃあおかしいのう。ははあ、お地蔵さんが早う縫うてくれ言うて、わしに鋏をやんさるんじゃろう。よし、こりゃあもろうていのう」と持って帰って、それから、買ってきた継ぎをその晩に鋏で切ろうと、それにちょっと鋏を当てれば、もう鋏がひとりでジョギジョギジョギと、頭巾をこしらえるのにちょどよいように継ぎが切れて行きます。それから、
「さあて、これから縫おう」と言って針と糸を出して、糸を針に通して、ゴソゴソゴソッ、ゴソゴソゴソッと縫うと、すぐに頭巾ができあがりました。おばあさんは、
「ようし、これこれ、あしたの朝からお地蔵さんは頭が温いぞ」と言って、その晩は寝ました。
 明くる朝、おばあさんは豆腐をこしらえて背中に負って出かけまして、お地蔵さんのところで、
「お地蔵さん、頭巾こしらえて来ましたよう。こりょう被かしてあげるけえなあ」。
 そう言ってから、お地蔵さんにその頭巾を被らせてあげました。それから、
「あんたは足が冷やかろうけえ、今日はなあ、足袋ゅう縫うてあげるけえなあ、待っとんさいよ」と言って、
「行って帰ります」と、おばあさんは町へ行きまして、また豆腐を売ってしまってから、白い継ぎを買ってからお地蔵さんのところまで帰りました。それから、
「お地蔵さん、今帰りました。これであんたの足袋ゅう縫うてあげるけえなあ、あしたの朝まで待ちんさいよ」と言って、おばあさんはその晩にまたその鋏を使って足袋を縫いました。ジョギジョギジョギジョギ、やっぱりひとりでに鋏は継ぎへ移動して行きます。それから縫おうと思えば、今度はチョキチョキチョキと針が糸をひとりで運び、足袋がすぐにできあがりました。
「こりゃ不思議な、ありがたいことじゃ。もったいないことだ。お地蔵さんのおかげだ」とおばあさんは言って、それからまた明くる朝、お地蔵さんのところへ豆腐箱を下ろしておいて、こう言いました。
「お地蔵さん、足袋をはかせてあげるけえなあ、足ゅう高い高いしんさいよう」と言って、おばあさんはお地蔵さんをつかまえて足袋をはかせようとしたけれど、大きな石の地蔵さんなので重たくてどうしてもはかされません。そこでおばあさんは、
「いやあ、こりゃたいへんじゃ。そいじゃあ、わしがこの足袋をもろうてはこう」と言って、その足袋をはいて町へ豆腐を売りに行くと、なんと速いとも速いとも、坂を上がるのに少しも苦しくありません。道を歩いても昨日までの三倍ぐらいも歩かれます。おばあさんは、
「こりゃあ、ありがたいこっちゃ」と言って、豆腐を売って帰って、あんまりうれしいので隣の水屋(屋号かと思われる)のおばあさんにそのことを話したのです。
「わしゃあな、あの地蔵さんの頭巾を縫うたげたら、地蔵さんから鋏をもろうた。そいたらなあ、その鋏がよう切れるとも切れるとも、縫いもんがすぐにできる。足袋ゅ縫おうと思うたら、やっぱりすぐにできる。ところが、地蔵さんが重とうて足袋ゅうはかせられんけえ、わしがはあたら道を歩くのが速あとも楽なとも」。
 こうおばあさんが話したものですから、その隣の意地悪おばあさんが、
「ははあ、そいじゃあその鋏をわしにいっぺん貸しちゃんさいや」と言います。おばあさんが、
「へえへえ、貸します、貸します。使うちゃんさいや」と言って、その鋏を意地悪おばあさんに貸しました。
 ところが、その意地悪おばあさんが鋏を使うというと、ジャッキンジャッキンジャッキンジャッキン、一生懸命使っても継ぎはひとつも切れはしません。それから意地悪おばあさんは腹を立てて、
「何ちゅうこともなあ(何ということか)、わしに偽物の鋏を貸して、地蔵さんにもろうた鋏だちゅうてからに」と隣へ行きました。
「おばあさん、あんた、わしをだまくらかあたんだ」
「だまくらかしゃあせんい」
 そう言っても隣のおばあさんは聞きません。
「そいでもあんたぁよう切れるいうて言うたが、あの鋏はひとつも切れりゃあせん。なんにも縫わりゃあせん」
「そうかの、そういうことはなあ」
「いや、あんたは、その鋏を隠しておるんだろう。本当の鋏を貸しんさい」
「いや、それが本当の鋏じゃ」
「いや、こりゃあ違う。貸しんさるか。貸しんされんか」。 意地悪おばあさんが、ひどい剣幕でとんで来るものですから、よいおばあさんは恐れてしまって、
「ああ、だれか助けてくれ」と言って走って逃げだしました。
 ところが、お地蔵さんにあげる足袋をはいているものですから、速いとも速いとも。それでも意地悪おばあさんも一生懸命について追って行ったところが、よいおばあさんの前にするすると一本の糸が下がってきました。それから、おばあさんは行き場がないものですから、その糸につかまって、ワッショイ、ワッショイ、ワッショイ、ワッショイと天へ向かって上りました。
 意地悪おばあさんもその後を続いて、その糸につかまって、ワッショイ、ワッショイと上ってきました。
 やがて、よいおばあさんの足へ意地悪おばあさんの手が届きそうになりましたので、よいおばあさんは、
「や、こりゃ大変じゃ」と持っていた鋏で自分の足元のところから、その糸をプッツリ切りました。
すると意地悪おばあさんがぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるドス-ンと畑の中に落ちまして、それからそのおばあさんの身体が三つに割けたそうです。で、一つは粟の根元へ、一つは唐黍の根元へ、そして一つは南蛮黍の根元へ行ったそうです。その血がついて南蛮黍と唐黍と粟の根は真っ赤になったそうです。

 花子さんのおばあさんは、こう話してくれました。そうしたら花子さんは、
「ふう-ん」と言いましたげな。

(昭和36年(1961)9月12日収録)

解説

 語り手の佐々木誓信さん(当時69歳)のお宅におじゃましてうかがった話である。佐々木さんは、光円寺のご住職で、実に穏やかな方だった。
 この話は花子さんがおばあさんに話を所望すると、それに応えておばあさんが話を語るというスタイルを取っている。つまり話の中に話が入っているという二重構造を持った珍しい昔話なのである。わたしは長いこと民話採録の仕事をしているが、まだこのようなスタイルの話を、他に聞いたことはない。佐々木さんはどなたからこの話を仕入れられたのであろうか。今となってはそのルーツが確かめられないのが、いかにも残念である。
 さて、この話の最後の部分では天から下がってきた糸につかまっておばあさんは登って行くが、意地悪ばあさんも同じように後からその糸につかまって追いかけるという形を取っている。この昔話は、似たように天から下がってきた綱につかまって逃げる兄弟姉妹の主人公たちを、別な綱を所望して天の邪鬼がそれにつかまった主人公を追いかける話「天道さん金の鎖」と似た筋書きを取っているのである。