五人六兵衛さん(昔話)
語り(歌い)手・伝承者:浜田市三隅町古市場 山根俊子さん・大正7 年(1918)生
昔、人を殺したら、その理由の如何を問わず、必ず殺されるという掟の村がありました。その村に知恵の六兵衛さんと怠けの六兵衛さんと喧嘩の六兵衛さんと盗人の六兵衛さんと欲張りの六兵衛さんが住んでいました。
あるときのこと。怠けの六兵衛さんと喧嘩の六兵衛さんが、二人で山道を歩いておりますと、どうしたことか、ついちょっとしたことで喧嘩になりました。それで喧嘩の六兵衛さんは持ち前の癇癪なんですから、怠けの六兵衛さんをなぐったのです。ところが急所に当たりましたか、怠けの六兵衛さんは、ころころっと転がりながら草むらの中に落ちました。そうして、しばらくたっても六兵衛さんが起きてきませんので、喧嘩の六兵衛さんは不思議に思って、その六兵衛さんを起こしてみましたら、ものすごく悪いところに当たったんでしょう、息が切れておりました。そいでびっくりしまして、喧嘩の六兵衛さんは、
-さて、困ったなあ、どうしようかなあ-と思いましたが、
-まあ、こういうときに知恵の六兵衛さんに相談しよう-と気がつきまして、知恵の六兵衛さんのところへ訪ねて行きました。
知恵の六兵衛さんはちょうど畑から帰ってお風呂に入っておりました。そして、
「いま、自分が上がって来るが、それまで待ってくれんか」と言いましたが、そのまま喧嘩の六兵衛さんが、
「たいへんだいじなことだから、風呂の中でいいけえ聞いてくれ」と言うんです。
「そんなら話しんさい」
「ほかでもないんですがなあ、六兵衛さん。実はこうこういうわけで………」
そうしたら、知恵の六兵衛さんが心の中で思いますには、この六兵衛さんを助けるためには、どうしても一つ嘘を言わにゃならん。自分は本当は嘘を言うことはきらいなんだがしかたがない、というので度胸を決めて、
「それじゃあなあ、六兵衛さん、壁に耳あり障子に目ありいうことがあるから、もっともっと近う寄って、わたしの口元に耳をつけてくれ、それじゃあここで話してやろう」。
それから喧嘩の六兵衛さんは、知恵の六兵衛さんの口元に耳をつけて知恵を教えてもろうたわけなんです。そのときに、これから決して喧嘩をしないように約束さしたのです。
「六兵衛さん、六兵衛さん、そいじゃあね、怠けの六兵衛さんの死体を、欲ばり六兵衛さんの田の畦のミナクト(水口)へ伏せておけ」。
「そうしておけばよろしいんですか。それだけでわたしの命が助かるんですか」と言って喧嘩の六兵衛さんは、不思議そうに思って聞いたら、知恵の六兵衛さんは、
「うん、それだけでいい。たったそれだけでいい」と言うんです。そうすると、
「そいじゃあ、すぐ行きますから」というんで喧嘩の六兵衛さんは、そこをお暇してさきほど草をかけておいた怠けの六兵衛さんの死体を取り出して、知恵の六兵衛さんが教えてくれたように、欲ばり六兵衛さんの田の水口のところへ、その死体を伏せておいて帰ったのです。
そうしたところが、欲ばりの六兵衛さんはものすごく欲ばりなんですから、夜中にでも自分の田の水を人が取ってはならんと、いつも田の番をするんです。
その晩も、いつもように鍬をかついで暗い中を、自分の田の水の守をするために畦道をやって来ますと、ちょうど水口にだれか黒い人影がおります。
-あれはだれだろうか。自分の田の水を盗む-と思いながら、腹たちまぎれに担いでいた鍬でガンと一鍬やったんです。そうしたら、その人影はもろくもころころころと下の田へ落ちました。六兵衛さんはびっくりして、
-あら、こんなはずはなかったが、何の抵抗もなしに倒れたが、この人は水を盗んでおったんじゃない、水を飲んでおったか知らん-とその身体を起こして見ますと、もう息が絶えております。それから、欲ばり六兵衛さんはいよいよびっくりして、
-さて、どうしようかな。困ったなあ-と思って案じておりましたが、やっぱりこういうときには知恵の六兵衛さんに知恵を借りよう、と思って知恵の六兵衛さんの家へ行きましたら、六兵衛さんは風呂から上がって夕飯を食べておりました。欲ばり六兵衛さんは、
-知恵の六兵衛さんはご飯を食べておんさるが、やっぱり言
うてみよう-と思いながら、外から小さい声で、
「今晩は、知恵の六兵衛さん。おられますか」と聞きましたら、知恵の六兵衛さんがご飯の箸を置いて縁側へ出てきました。
「なんじゃなあ。だれかと思やあ欲ばりの六兵衛さんじゃないかい。どうしたんだなあ今ごろ」。そう言いますと欲ばりの六兵衛さんはぶるぶる震えながら、
「ほかでもないんじゃが、六兵衛さん、実はこうこうこういうわけで………」
「そりゃ困ったことをしたなあ。それじゃあ、ちょっとまあ上がって来んさい。この縁先じゃあ話されんから、壁に耳あり障子に目あり言うことがあるけえ、自分の部屋まで来てくれえ」と言うので、知恵の六兵衛さんの部屋へ入りまして、欲ばりの六兵衛さんは知恵の六兵衛さんから、知恵を授かったわけなんです。そのときに知恵の六兵衛さんは、これからは決して欲ばりをせずに人と仲良くつきあって行くようにと約束をさせたのです。
「そいじゃあなあ、今夜、あんたの殺した人を俵の中へ入れて、盗人六兵衛さんの下の水車の中へ入れておけ」
「たったそれだけでいいんですか」
「うん、それだけでいいんじゃがな。いまさっきも危ないことがあったような様子じゃから、気をつけて行きんさいよ」
それで欲ばり六兵衛さんは、知恵の六兵衛さんの言われたように、俵の中へ怠けの六兵衛さんの死体を入れて、藁をいっぱいつめまして、その盗人六兵衛さんの下にある水車の中へ入れたわけなんです。
そうしたら、夜中になりまして、盗人の六兵衛さんは持ち性を出して、
-きょうまでのお米はあったが、明日からのお米がないけえ、どれ、一稼ぎしてこよう-と考えました。ちっとも仕事せずに盗んでばっかりして食べているのですから、余分の米がなくなったのです。
そして、まず隣の水車小屋を開けたわけなんです。そうしたら思いがけなく、そこに一俵、俵がありましたから、こりゃまあ、いいところへ来たと思って、喜んでその俵を担いで自分の家へ持って帰りまして、
-夜中に早くこの口を開けて、米を片づけておかにゃあ-
そう思って、その口を開けました。
ところが、ちょん髷が見えたんですねえ。
-あらっ、これはちょん髷ぞ。おれが盗っとすると思って、だれか感づいてこの俵の中に入っとったに違いない-。
それから、盗人の六兵衛さんは思いきり拳固を固めまして、そのちょん髷の上をポカーンと一つやったわけなんです。そうしておいてゆるりと俵を解いてみますと、その人はだれかと思ったら、怠けの六兵衛さんで、しかも息が絶えてうるのです。
-まあ、おれがあんまりひどく拳固を埋めた(拳固でなぐった)から、この六兵衛さんは死んだんだな-とびっくりして、
-さて、どうしよう。困ったなあ-と思いましたが、
-まあやっぱりこういうときには知恵の六兵衛さんのところ
へ行こう-と思って、六兵衛さんのところへ行きましたら、六兵衛さんはもう休もうと思って床を引いたところなのです。ですが盗人六兵衛さんが、
「一大事が起きたから、とにかく今夜のうちに話してくれ。知恵を貸してくれ」と言うのです。
知恵の六兵衛さんは縁側に出まして、
「どんなことかね」
「実はこうこうこういうわけで」
「ああ、それは困ったことになったなあ。それじゃあな、壁に耳あり障子に目ありいうことがあるから、とにかく自分の部屋まで入ってくれえ」と言うので、知恵の六兵衛さんの部屋へ盗人六兵衛さんも入れまして、戸を締め切って、それから知恵の六兵衛さんは、また知恵を教えてあげたわけなんです。そのときには、
「盗っとをするいうことは本当に悪いことで、今まで何回あんたを諌めてあげたか分からんのじゃが、どうしても盗っとをようやめん。これ今度こそ盗っとすることを本当にやめるんじゃったら、知恵を教えてあげよう」と言いいました。
盗人の六兵衛さんは、
「自分の命を助けてもらうんじゃから、もう絶対、盗っとをしません」と、そこで盗っとをせんことを約束して、知恵の六兵衛さんに知恵を教えてもらいました。
「怠けの六兵衛さんを持って、怠けの六兵衛さんの家へ行きんさい。そして、怠けの六兵衛さんは鼻声だから、鼻をつまんで『おかあや、今帰ったで』、そう言うと、怠けの六兵衛さんが出てから、もう一昼夜にもなることじゃから、家内衆は『今になって何をしに帰ったか』とものすごく怒るに違いないから、その怒った調子に『それじゃあ死んでもええかや』ちゅうて言うておいて、それからその死体を井戸の中に放りこんでおくことじゃ」。
それから、盗人の六兵衛さんは、帰って俵から、その死体を出しまして、怠けの六兵衛さんのところへ担いで行って、知恵の六兵衛さんが教えてくれたように、鼻をつまんで、
「かかあや、今帰ったで」。そう言いましたら、本当に知恵の六兵衛さんが教えてくれたように、そのおかみさんが、内から、
「今になって何をしに帰って来んさった。いつもいつも出歩いて怠けてばっかりおってからぁに、女や子どもはどうするんかね」とかんかんになって怒りました。
知恵の六兵衛さんが教えてくれたように、また鼻をつまんで、
「それじゃあ、死んでもええかや」と言いました。
そうすると、内から、
「死ぬるなっと、どうするなっと勝手にしんさい」。おかみさんの声がしましたので、盗人の六兵衛さんは、その怠けの六兵衛さんの死体を井戸の中へ放りこんでおいて帰ったわけなんです。
朝、おかみさんが起きまして、水を汲もうとして釣瓶を落としましたら、カチン、カチンと何か音がします。
-これは不思議な-と思って、近所のおばさんを呼んで来、その次のおじさんを呼んで来いして中を調べてみますと、ゆうべ帰ったはずのお父さんが、その中に入って死んでいたわけなんです。
怠けの六兵衛さんが一人犠牲になりましたけれども、知恵の六兵衛さんが一生懸命で一人一人教えてくれたために、喧嘩の六兵衛さんは喧嘩をせずに一生懸命働くようになり、盗人の六兵衛さんも盗っとをやめ、欲ばりの六兵衛さんもいつものような欲ばりをやめて、みんなで一生懸命働くようになったそうです。
(昭和36年(1961)7月26日収録)
解説
山根さんのお宅でうかがった。山根さんのところへはよくおじゃましたものであった。地元では山根さんのところを「麹屋」と呼んでいた。家業から来た呼び名である。物静かな雰囲気を漂わせた主婦の俊子さんは当時四十二歳だった。そして昔話の他にも臼挽き歌やわらべ歌などいろいろ教えていただいたことを記憶している。またご主人の久一さんやキヌおばあさんからも、あれこれと親切にしていただいたものである。
さて、この「五人六兵衛さん」は、わたしが今日に至るまでこの一話しか聞き出せない貴重なものである。関敬吾博士の『日本昔話大成』によると「笑話」の中の「狡猾(こうかつ)者譚(たん)」に「智恵有殿」として戸籍があるが、この話をうかがって以来、いろいろ訪ね歩いてもなぜか二度と出会わない貴重な話である。