瓜姫とアマンジャク(昔話)

語り(歌い)手・伝承者:仁多郡奥出雲町大呂  安部イトさん・明治27 年(1894)生

 おじいさんとおばあさんとおいでました。おじいさんは山へ草刈りに行きました。ばばは川へ洗濯に出ました。瓜が来まして、そいから拾って食べましたさあな(そうな)。結構な味でしたさあな。そいから、
 「もう一つ流れえ、おじいにゃあ(やる)」
言いて頼んましたさあな。また流れて来ましただけん、そうから持っていんで(帰って)米びつに入れておいたもんです。から(それから)、おじいさんが戻って、話しましたら、
「そりゃあ、まあ、ありがたい。出いて見せてごせ」
行きましたら、瓜が、こう、二つに分かれており、いい瓜姫になっちょうました。
「こりゃあ、子供がないけん、瓜姫と名あつけて楽しまあ」言いことにして、そうかあ、
「おまえは何が好きだかあ」
言いましたら、
「ああ、山の芋とむかご(山の芋の葉のつけ根にできる肉芽・食用)が好きだ」
てて。そうから、おじいさんは山の芋を取りに行く、おばあさんはむかご拾いに行く。
 そいから、
「わわあ出えけに(わたしたちは出てくるから)、ここの前に、アマンジャクつう(という)ふつつかなもんがおうけに(悪い者がいるから)、必ず寄せてごすな(近寄せてくれるな)。おまえはここで機(はた)織(お)っちょってごせ」と。
「おじさんさいがない、ばばさんくだがない、言いて機織れ」言いて織らせておうましたさあな。
 そげしたら、前のふつつかなもんが来て、
「ここ、ちょっこう開けてごせ」言いましたさあな。
「いや、あけられんで。いや、叱られえけん」
「いや、ことわってやあげに(やるから)開けてごせ」
 そうから、手がひゃあ(入る)はど開けました。そげしましたら、
「頭が入いほど開けてごせ」
「そりゃ、叱られえ」
「いや、そうでもことわってやあけん、開けてごせ」
 言いて、そうから開けてやりました。
「あの、前に柿がああけに、取りに行かじゃなあ(行こうじゃないか)」
「叱られえ」言いました。
「いや、ことわってやあけん行か(行こう)」言いましたさあな。
 そうから、ついて行きましたさあな。
「ここにおらっしゃい、わが上があけん(おれが上がるから)」言いて、高いとこへ上がってたくさん取って食べて、
「ソーソ、姫さん、種子(さね)ばっかあ
 ソーソ、しいたん(へた)ばっかあ」
言いて落といてやり、そうから、たくさん食べて降りて、わは降りたけん(自分は降りたから)、
 瓜姫さんに、
「上がって食べえ
言い。から、ほしござんすけん(ほしうございますから)、瓜姫さんは上がったもんですが。
 るすの間(ま)へ来て
 「じいさんさいがない。ばばさんくだがない」
で、機織っちょったもんだ。はいかあ(それから)、おじいさんらつ(たち)が、戻って、見いとこめが(見るところが)、違いますだけに、ほうから、変わった顔をしちょうましたさなあ。
か(それから)、庭の梅の木に鷲がとまって、
「ホーケキョ」
言いました。あらっ、と思って聞いちょうましたら、またそげな声して、
「あまんじゃくは機の上、瓜姫は柿の木のあたま、ホーケキョ」
言いましたげな。
 ほうから、
「ははあ、前におう(おる)」
へえから(それから)、出て見ましたら上におうましたさあな。
 から、ま、それ降ろいて、から、あまんじゃくをつかまえて、馬と牛とに足をつけて、追うたもんですが。そげしたら、こう、とびますだけん(駆けるものですから)、分かれて、股(また)が裂けましたげな。へえから、その足、萱山へ投げましたさあな。
 そうで、萱(かや)のもと、今でも刈って見りゃあ中が真っ赤にござんす。あまんじゃくのまたの血だてて言いこと聞いちょうます。

(昭和47年(1973)7月27日収録)

解説

 関敬吾『日本昔話大成』の中では本格昔話の「誕生」の中の「瓜子織姫」として登録している話型である。