過ぎし昔の秋に問わばや

語り(歌い)手・伝承者:隠岐郡西ノ島町波止  松浦武夫さん・明治35 年(1902)生

 昔、大宰府に樽屋五助という桶屋がありました。その桶屋はたいへんまじめな人だったけど、どうしたものか運が悪くて、とても貧乏になって、大宰府に住めなくなっておったもんだから、家財道具をみんな売り払って、
 -ま、ひとつ、江戸へでも行ったら、また自分の運も開けるか知らん-
と思って、江戸へ行く決心をしました。
 それが日頃から天神さんをとても信仰しておりました。そっで、今夜お別れのお寵りを一晩しようと思いまして、天神さんにお参りしてお籠りしておりました。
 そのときに天神さんが夢枕に立たれて
 ♪ 過ぎし昔の秋に問わばや
と天神さんが歌を言われたが、ま、.どんなものか、どういう意味か、それをずうっと考えながら江戸をめざして旅立ったわけですわ、ずっと行きまして中仙道にかかり、碓氷峠まで行ったところが、旅費を全部使いはたして、そいから先は行けないことになりました。
 そこの碓氷峠の旅寵で風呂焚きに雇ってもらって、風呂焚きをやっていました。
 ある日、そこへ大名が泊まりました。家来の侍たちがかわるがわる風呂に入りました。侍たちが、
 ♪ 碓氷とは互い染めし濃き紅葉
 その風呂に入る侍が全部同じことを言うわけですね。不思議に思って、
「お侍さん、その〝碓氷とは互い染めし濃き紅葉″とは、どんな意味ですか」
言ったところが、
「それはな、ここの碓氷峠を殿さまが通るときに、あんまり紅葉がきれいなものだから、歌詠みされた。〝碓氷とは互い染めし濃き紅葉″と歌われたけど、その下の句がどうしてもできない。ほんだら(それだから)、家来たちに、おまえたち、この下の句を作って読んだものはほうびをやるから、言われたものだから、何とかして下の句を作ろうと思ってね、そいでみんな一所懸命になっている」
「ああ、そうですか。そんならなんですね、お侍さん、こげではどうでしょうか」
「ああ、なんかい」
「〝古き昔の秋に問わばや″ではどうですか」
 「ん、んそうか。そりゃいいかも知らん。いいことを聞いた」
言って、そして殿さんの前でそう言った。
「ん、ん、そうか。そいつはとてもりっはな下の句だな、〝碓氷とは互い染めし濃き紅葉 古き昔の秋に問わばや″か。りっはな歌ができた」言ってね、殿さんがとても喜ばれた。
「そいで、おまえが、何したか」
「いえ、そうじゃあありません。風呂焚きから聞きました」
「あ、そうか。そんなら早速、その風呂焚きを呼んで来い」
と風呂焚きを呼んで
「おまえが、その歌を作ったのか」言ったら、
「いや、そうじゃない。こうこう、こういうで」
 前の天神さまの夢枕のことを話した。
「ああ、そうか。いいことを聞いた」言ってね、
「おまえが大変信心な感心なものだから」
言って、たくさんのほうびをもらったという話ですね。

(昭和51年(1976)5月8日収録)

解説

 これは普通の昔話ではないが、さりとて伝説や世間話とも違う。あえていえば、人物や地名などの固有名詞が出ているところから、伝説に位置づけてもよいようである。信心深い大宰府に住んでいた樽屋五助への天神樣のおかげを受けたエピソードとえばよいのであろうか。離島である隠岐の島の島前地区にこうして、秘めやかに信心礼賛の伝説が根付いていたのである。