太鼓と子狐

語り(歌い)手・伝承者:浜田市三隅町向野田  斎藤多作さん・明治23 年(1900)生

 昔、たいへん山奥に田畑を荒すとても手におえない狐がおりました。
 その村に腕利きの猟師がおり、何とかしてその狐を退治しようと、毎日のように狙っていても、狐はなかなかその手にかかりません。
 その狐には二匹の子どもがいました。
 ある日、その日に限って子狐が親狐に、
「餌を求めてくれ」とせがんでしかたがありません。
 ところが、猟師も罠をかけておいたそうです。狐はその罠に触れば危ないがと思いつつも、二匹にせがまれて、しかたなくその罠にさわったそうです。運の悪いことに親狐は、その罠にかかってしまい、逃げることもできないうちに猟師に見つかってしまいました。猟師は、
「ようし、このたび は 殺(や)ってやる。どうしてもおまえを助けることはできん」と、その狐をむちゃくちゃにたたいて殺してしまい、その狐の皮は皮屋でなめしてもらったそうです。
 その村に浄土宗のお寺がありました。和尚さんは太鼓の皮を張り替えるために、その狐の皮を求めて、太鼓に張ってもらったそうです。
 それから、和尚さんはまことに喜んで、朝に晩にと太鼓をトコトントン、トコトントン、たたいてお勤めをなさる。
 ところが、ある日のこと。
子狐が二匹来て、和尚さんがお勤めを始められると、門前でひざまづいて小首を傾けて、その太鼓の音を聞いている。
「さて、これが不思議なことじゃ。今まであったことがないんじゃがどうであろうか」と和尚さんは考えつつお勤めを毎日なさっている。三日、四日、五日、六日、七日とその子狐は来て和尚さんのお勤めを小首を傾けて聞いている。
 その村に占い師がいたので、和尚さんは尋ねられたそうな。
「ああ、そうでござるか。わたしがうかごうてみましょう」
と占い師がおみくじを引いてみました。
 そうしてて言うには、「子狐が二つとも来てあなたのお勤めを聞くのは、これはまことにその太鼓の音はトントコトンと鳴りますが、その子狐の耳には『わが子かわいやのう、わが子かわいやのう』というて聞こえるそうですわ」とのこと。
「ああ、そうであるか。それは気の毒であったのう」。和尚さんは、その子狐の膝元へ行って、
「どうもしかたがない。かわいそうであるが、どうすることもできんから、おまえたちは山へ帰りなさい。そしてお母さん狐のように村に出て、百姓に業をせんように。猟師にかかって命を果てないように末永く暮らしてくれえよ」と言い渡され、山の奥に子狐を帰らせられたということです。

(昭和35年(1965)9月24日収録)

解説

 語り手は斎藤多作さん(当時七十歳)。昭和三十五年九月にうかがった。全国的な昔話のタイプにない話型である。動物を殺傷する猟師の存在と、一方、動物をかわいがろうとする心情のある人々のいること矛盾が、それとなく語られている珍しい話である。