彼岸坊主はどこの子(土筆(つくし)摘みの歌)
語り(歌い)手・伝承者:江津市桜江町川越 原田トメさん・慶応4年(1868)生
彼岸坊主は どこの子(だれの子、とも)
スギナのかかあの オト息子
(昭和35年(1960)8月1日収録)
解説
『川本町誌』(森脇太一氏ほか執筆)にも同じ歌が次のように出ている。
彼岸坊主は どこの子(だれの子、とも)
スギナのかかあの オト息子
実は筆者も約60年前に、江津市桜江町川越の原田トメさん(当時92歳)から、同じ歌をうかがっている。筆者は25歳になったばかりで、三隅中学校(浜田市)に勤めていた。そのころ筆者は『朝日新聞』島根版に「石見のわらべうた」を連載していたので、この年の11月29日付紙面にこの歌を紹介していた。次に解説部分を再掲しておく。
寒くて屋外では思う存分に遊び戯れることのできない冬。子どもたちにとって、あまり歓迎されなかったこの季節も、彼岸に入ればどこか春めく。「暑さ寒さも彼岸まで」とのことわざの示す通り、これを契機として冬将軍は総退却を開始するのである。
信仰の厚かった昔の人々は、毎年陰暦の二月七日と十二日、年中の香水の料とするために、東大寺の二月堂で行われる「奈良の水取り」といわれている大行事を、あたかも春の訪れの象徴のようによく記憶していた。「奈良のお水取りがすまぬと、ほんとうの春にはならないよ」。小春日和を喜ぶ子どもたちに、悟りきったような祖母の声が響いたものだ。
雪もやっと消えたこのころ、田舎の野原や土手に出てみると、ひっそりとしずまった自然の中に、かわいい筆のような形をした「ツクシ」が、そこここに愛敬のある頭をふりたてて生えそめている。
期待に胸をふくらませてきた子どもたちは、小さくかわいいこの植物の発見に歓声をあげ、それをつみとる。そして用意してきたカゴの中に入れるのである。そのときうたわれるのがこのうたなのだ。いうまでもなく「ツクシ」は「スギナ」の地下茎からでる胞子である。そしてやがてこれがスギナに成長するのだ。兵庫あたりでは、
ホウシだれの子 オスギの子
オスギだれの子 ホウシの子
とうたっていたという。「ホウシとは能や狂言の『カナホウシ』などの『法師』で、すなわちこどもということである」、柳田國男博士の著にこう出ていた。また愛媛県では、
ホウシコ ホウシコ だれの子
ヤブの中のトウナ(スギナのこと)の子
トウナと寝よてて 鏡たたく
とうたわれていたとか。(未来社刊『民話』20号から)
わが石見ではツクシのことを「彼岸坊主」とうたったが、彼岸どきに出現する坊さんの頭にも似たこの植物を、かわいくたとえたのである。そして母親であるスギナの一番下の男の子とみたてたのだ。素朴な植物学の知識ではある。
なおこのうたは、他に正確な伝承者のない貴重なものである。
うたってくださった原田トメさんは、なんと92歳の高齢だが、やさしく気品のあるなつかしいおばあさんだ。ことしの8月採録させていただいたが、あの焼けつくような炎天下でも、麦わら帽子をチョコンとかぶっただけで、野良仕事に精を出しておられた。今もきっとお元気なことと思う。
山陰地方で見れば、鳥取県下ではツクシののことを「ホウシ(法師)」と呼んでおり。私はこの歌をかなり収録している。しかしながら、なぜか島根県でのツクシの歌は見つけにくく、私としては原田さんの「彼岸坊主」だけが唯一収録出来た歌なのである。
そしてこれには印象深い思い出が残されている。それは歌ってくださった原田さん宅の主婦、春子さんから次のような丁重な礼状を後日いただいたことである。半世紀以上経過しているが、私は大切に保存している。それは昭和35年12月3日付消印のある次の葉書である。(本文は旧仮名遣いで次のように書かれている)
師走に入り朝夕一段と寒さをそへる頃と相成りました。そちら様にはお変わりなく御送りでいらっしゃいますやらお伺ひいたします。此の夏は川越に来られ私の方にお出で下さいまして誠にありがたう御ざいました。いつもおばあさんがそちら様の事を申して居り、あれから二度も新聞紙上に報道され、大変におばあさんはよろこんで、こたつにあたり乍ら、その新聞をそばから離しません。ほんとに高齢の事とて、何のなぐさみもない今日此の頃、私方も大変によろこんで居ります。毎日元気で良いお天気には畠けに出かけて毎日毎日誰と話なす事もなくがんばって居ります。そちら様にも礼状を出して下されと申して居りました。おばあさんを始め私方も礼状をと思ひ乍ら、今日まで失礼をいたしました。おばあさんが申して居ります。元気で居るから、また、おひまの節はおより下さいとの事です。では失礼をいたします。お元気で御送りくださいます様にお祈りいたします。 かしこ
私はこの葉書を幸い紛失することもなく、転居を何回も繰り返した現在でも、私のスクラップブックの中に、挟んだまま残していたので紹介できたのである。
口承文芸収録を始めたばかりの記念碑として、これからも私は大切にこの葉書を保存しておきたいと考えている。(元館長・酒井董美)