カラス カラス 勘三郎・動物の歌(隠岐郡知夫村古海)

語り(歌い)手・伝承者:前横ベンさん・(明治28年生)

カラス カラス 勘三郎
親の恩を忘れたか

(収録日 昭和51年(1976)7月28日)

解説

 昭和51年夏、県立隠岐島前高校郷土部が知夫村の民話調査でうかがった一つがこれである。あれからもう四半世紀を経過した。筆者は当時、郷土部の顧問であった。三名の部員と7月28日に知夫村へ出かけて仁夫(にぶり)地区の民宿赤壁荘でお世話になり、四泊五日の日程で村内を回った思い出は懐かしい。
 ところで、隠岐島でのカラスをうたった歌の詞章は、たいていがこれと同じで、それは鳥取県の中部から西部にかけても言えることであった。
 さて、夕方になると夕焼け空をカラスが群をなしてねぐらへ急ぐ姿を、子どもの詩情で捉えたのがこの歌である。けれども、他の地方では多くはまた別な詞章でうたわれれている。島根県邑智郡川本町川本では、

カラス カラス 勘三郎
われが家(い)や みな焼けた
はよいんで 水かけ
水がなけにゃ 汲んじゃろ
杓(しゃく)がなけにゃ 買(こ)うちゃろ
買うちゃろうにも 金がない
金がなけにゃ 借りてこい
借りてこうにも 貸せ手がない(山根静江さん・大正5年生)

と、厳しい庶民の生活を反映させた内容となっているものもある。
 また鳥取県でもやや異なった詞章のものがいくつか認められる。まず、若桜町大野では、

カラス カラス 勘三郎
あっちの山 火事だ
生まれたところを忘れんな(兵頭ゆきえさん・大正5年生)

 夕焼けを火事と見立てる手法は、川本町と同じであろう。また、河原町国英川原の歌、

カラス カラス
後ろを見い
鉄砲撃ちが来ょるぞ
ズドーン ズドーン(連仏利志子さん・明治35年生)

 このようにカラスが鉄砲撃ちに追われる図式になっている。
 ここらで文献を追って古いところを眺めると、江戸時代の文化文政ごろ(1804~24)に書かれた粟田維良著『弄鳩(ろうきゅう)秘抄(ひしょう)』にも次の歌があった。

からす勘三郎
をんばが家焼る
はやく行て水かけろ

 それより少し早い寛政9年(1797)の序がある大田全斎著『諺苑(げんえん)』にも、

烏勘左衛門、ウヌガ家焼ル、
ハヤクイッテ水カケロ、
水ガナクバ湯ヲカケロ。

とあるので、かなり古い時代から、これらの歌は子どもたちに愛唱されていたことが分かる。