通れ通れ 稲の虫ゃ通れ・歳事歌(隠岐郡隠岐の島町山田)

語り(歌い)手・伝承者:吉山イナコさん(大正9年生)ほか

通れ通れ 稲の虫ゃ通れ
稲の虫ゃ通れ

(収録日 昭和54年8月9日)

解説

この歌をわらべ歌としてよいかどうか、いささか気になるところであるが、害虫である稲の虫の退散を願う農耕儀礼の一つに「虫送り」がある。このとき村人たちは行列を作って歌をうたいながら、村はずれまで虫を送るのである。子どもたちの多くも、お祭り気分でうたいながらついて行くのである。そのようなところから、ここではわらべ歌に入れておくことにする。
 なお、稲の虫といわれるものには、ウンカ(ツマブロヨコバエ、ミドリウンカ)・メイチュウ(ズイムシ)がある。
 隠岐の島町山田の歌は、七夕の日に行っているそうだ。出雲部の松江市玉湯町下大谷では、「実盛送り」と称して次のようにうたっていたという。

実盛送るわー
実盛送るわー(春木 務さん・明治44年生)

 春木さんの話では、この実盛送りは、稲の病気など併せて送っていたようで、上の地区からこの地区まで送りつけて来るので、ここからも玉造地区の実盛遺跡まで、子どもたちが十四、五人ぐらいで灯をとぼして送ったものであるそうだ。この実盛遺跡は今はなくなってしまっている。季節は秋だったように記憶している、とのことだった。
 この中にある「実盛」の詞章であるが、平家の武将、斎藤別当実盛をさす。源平合戦のおり、敵に侮られないよう白髪を黒く染めて出陣した実盛だったが、戦い利あらず敗走の際、馬が稲株に足をとられ転倒したところを無念にも首級をあげられた。その恨みがウンカと化して、稲を荒らすという伝えから、各地にある虫送りの多くの詞章には、実盛という語句が登場しているのである。
 続いて鳥取県東伯郡琴浦町高岡の歌について眺めておこう。

送った送った
送った 送った
稲の虫 送った
うんか 実盛 さし虫
地虫まで送った(高力みやこさん・明治36年生)

 このように琴浦町でも実盛の語句が出てくるが、ここでは船通山で祈願した後、男たちが松明をかざして行列を作り、地区の田を回って大川まで虫を送った。他の地区では大人から子どもまで一団となって行なうところが多い。
 次にごらんいただく東部の八頭郡若桜町大野では、実盛のは出ていない。

稲の虫を送って
あとさっぱりさらえて
あと繁昌 繁昌よ(兵頭ゆきえさん・大正5年生)

 「実盛」があったりなかったり、虫送りの詞章にもいろいろな種類があるようである。稲作国家であるわが国の農業従事者にとって、豊作の邪魔をする害虫は一匹でも早く退治したいわけで、このような伝説まで添えて「虫送り」の歌が作られているのである。