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天人女房(昔話)

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おはなし

語り手 隠岐郡隠岐の島町飯田 井上 正男さん・明治25年(1892)生

 とんと昔があったもんだ。飯田集落に中根という家が今でもありますけれど、ここに昔、少し人のいいオジ(独身の弟)がおりまして、それがタイマツ(松明)をこりに飯田の東谷のヤマ(畑のこと。隠岐地方では畑のことをヤマという)へ行ったそうです。東谷には池があって、その池まで行ったところが、りっぱな娘さんたちが四、五人水浴びておられる。
「ありゃまあ、こりゃ、ねえさんたちが知らっしゃると、恥ずかしがってやめさっしゃるぞ。おることを知られないように……」というので、オジは蔭へ入って隠れておった。
 そうしたら、娘さんたちが人が隠れていることに気づいたやら、池から一人上がり二人上がりして、上へ上がって、りっぱな着物を着て、そうしてパ-パ-パ-パ-と舞って天へ上がって行かれるげな。なんとオジはそれを見てびっくりしてしまったそうな。そうしたら、まだ一人後へ残っている娘さんがあったので、その人の上がられないうちにと思って、走って行って、
 そうして、自分のところでどうしたかというと、そのようなことを言えば叱られるから隠しておいたけれども、
-りっぱな着物だからどうすればいいだろうか-と思って、ヤマ(畑)へ持って行ってそれを隠しておいた。
 そうしたら、その年の秋になって、旅の若い女がやって来た。
「ここは中根(「中根」という屋号の意)ちゅって言わっしゃるの」
「中根てて言うんだよ」
「わしを泊まらしてごさっしゃらんか」
「いや-ぁ、わしゃぁ貧乏人でね、中根のオジだいど、前へ家を建ててもらって、け、前中根(屋号)ちゅう家にしてはおるだいど、貧乏人でからにけ、何だいないけん泊まらするわけにはいかんぞや」と言っていた。
「まあ、どげでもうちを泊まらしてごさっしゃいの」
「それなら泊まらっしゃいな」
 それから、その前中根という青年が一人寝ている家に、若い女は泊まることになったそうな。
 けれども、明くる日から雨が降りだして、その娘さんは出て行くことができない。
「出て行かっしゃい」ということが言われないほど雨が降って仕方がないので、娘さんが逗留を続けていると、みんなが、
「なんと前中根のオジがところへりっぱなネエ(姉)さんが来てござるてことだねえか」
「行きてみようじゃねえか」と言う。そうして若い者がみなで話に行くようになった。男たちも行くが女たちも行くして、みんなが話すようになった。
 ところが、毎日毎日雨が降って、どうしても「出発さっしゃい」ということが言われない日にちが続いているものだから、娘さんがそのまま逗留しておるうちに、つい、心安い者もできるようになった。
「なんととっつぁん、だ(私)をこんた(この家)の嫁にしてごさっしゃらんか」
「いやぁ、わしがやぁな貧乏人があんたのような者を嫁にするわけにはいかん」
「ああ、どげでもいいけえ嫁にしてごせ。わしゃどうもこの家から逃げとうないけえ」と言う。他の者も、
「オジ、あげ言わっしゃるものだけに、嫁にしてしんじぇえ、らら(私たち)もてんでん世話やくけん」。
 そうして嫁になることになった。
 そのようにして嫁になったところが、そのうちに子どもができる。子どもも成長して、少しはにぎやかになるようになったところが、そのうちにオジは子を負ってヤマ(畑)へ行った。
 そいからもどってくると、お母さんが子どもに聞いた。
「おまえはなあ、ちゃんちゃ(お父さん)に負われてどこへ行く」
「ヤマ(畑)へ行くわな」
「何しに行く」
「神さん拝みに行くわな」
「どげな神さんだら」
「こまい神さんだいどな、ちゃんちゃはな、その神さんの中からりっぱなビンビ(着物)出いて着ての、そいかぁ舞ってみるわな。そしてまた元のところへとらげちょいてから(片づけておいて)もどってくるわな」
「そげか。一度、母ちゃんをそこへ連れて行きゃせんか」
「ああ、ええわな」て。
 今度、お父さんが留守のとき、お母さんは子どもを背に負ってそこへ出かけて行った。子に指図されてヤマ(畑)へ行って見たところが、小さい祠(ほこら)の中に着物が納めてある。出してみたところ、それこそ自分の着物だった。
 それからお母さんはそれを着て、天へ舞い上がって帰って行かれるそうな。そうしたら子どもが後に残って泣くそうな。
 母さんは子どもが泣いてしかたがないから後へもどって来た。そしてて今度はその子どもを負って舞い上がった。
 そうして天へバア-バア-舞い上がって帰ろうとするけれども、子どもが重たくてどうにもならない。そこで空から帯をほどいて子どもを下に降ろした。
 その子どもはすて-んと落ちるかと思ていたら、ふら-んふら-んふら-んふら-んと落って、前中根の門(かど)へず-っと下りたではないか。
 そのうち、お父さんがもどって来てから、その話を聞いて、なんとお父さんもびっくりしていたけれども、自分が悪かったのでしかたがなかったそうな。
 そして元々貧乏人だったので、貧乏で困っていたところが、子どもが家の門(かど)へ出て、空を見ながら、
-天へお母さん行かれたから-と思って、空へ向いて拝むと
いうと門(かど)へ米の俵がいくつも置かれているそうな。なんと飯田の集落の者はみんなびっくりしてしまったわけだ。それからそれをかつぎこんでやったという。
 それから、時代が下って明治六年になった。前中根でも名字をつけることになったが、なかなかよい名字が見つからない。そこで奥の宮(屋号)のじいさんに聞いたそうな。
「どげな名字つけたらようござんすか」
「おまえがとこは、こういう具合いな昔話があるけに、池に添ったで池添とつけえ」
「それなら池添とします」というので、その家は「池添」という姓にしたそうな。ところが、どうも子孫に。知恵の足らない者が生まれるそうな。それで調べてみると、天神さんという神さまを粗末にしてはいないかということになった。ここ飯田には飯田八社といって、そのうちに天神さんという神さんがある。それは前中根のオジが天の娘さんの着物を祭っていた神さんだそうな。
 その天神さんを大切に祭っているときにはよかったが、最近は粗末にしてはいないか。それを祭らなければならぬ。さて、しかし、それがどこにあるか今はよく分からなくなってしまっている。知ている者もいない。 そこで現在、中根ではスヤ(木製の小さな社)をこしらえ西郷の町の天神さんからお札さんをもらって納め、それを拝むようになった。それはここの奥の宮さまに祭ってあるわけだ。
 それでスッペラポン。
昭和55年(1980)8月12日収録


解説

昭和55年夏、隠岐島前高校郷土部と松江市立女子高校民話研究クラブの西郷町合同調査のときの収録である。飯田地区にお住まいの井上正男さんはご高齢だったが、わたしたちを歓迎され、元の昔話が後半部分姿を変え、伝説化したこの貴重な話を語ってくださった。
「天人女房」の話は各地で聞かれるが、この井上さんの話では池添家の先祖になると語られているところに特徴がある。また、着物を盗られた女がやって来て泊まるが、翌日から雨が降って出発できず、そのまま嫁に収まるところや残された子供が天に向かって拝むと、俵が授けられる表現なども独特な部分だと思われる。
 鳥取県では倉吉市の打吹山命名の元は、「打吹山の天女」として知られている天人女房の話が伝説化したものもあるし、以前、この企画で紹介した松江市美保関町の類話では、七夕由来が語られていた。
 同じような話であっても、地区が違えばそれぞれ独自の味わいを示しながら、このように伝承されているのである。



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